2020
01.09

vol.5『明治維新という過ち』と「近代日本」をつくった尊王攘夷という中華思想

BOOKS

『そして安倍晋三は終わった』を書くにあたり、引用・参考にした文献・資料を紹介するコーナーのvol.5です。

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明治維新とは、江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。

明治天皇は、倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれているが、江戸時代は将軍が政治の舞台での最高責任者であり、江戸時代の天皇は、庶民にはその存在は「なんとなく知っている」という程度で、いうなれば祭祀のようなものだった。

明治天皇は、崩御するとすぐに「明治大帝」という本が刊行されたが、「大帝(=天皇大帝)」は神格化された北辰(天の北極)のことで、日本における天皇という称号はこれが起源になっているといわれる。

その天皇を元首とした大日本帝国憲法が制定されるに至った明治維新では、「尊王攘夷」という政治スローガンが掲げられた。

尊王攘夷とは「王(=天皇)」を尊び、「夷(外国)」を「攘(はら)う」、つまり天皇を敬い外国の侵略を撃退しようとする思想だが、この「夷」は中華思想で中華が中華以外を蔑視する際の呼び名である。

 

尊王攘夷論は幕末の多くの「志士」たちが支持し、中でも吉田松陰=松下村塾は明治維新のシンボルのようにいわれている。

しかし、原田伊織の『明治維新という過ち明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリストはその吉田松陰はテロリストだといっている。

 

公教育では、久坂、前原以外に、木戸孝允や高杉晋作、品川弥二郎、伊藤博文、山形有朋などが門下生として教えを受け、維新の英傑を輩出したことになっているが、このことが大いに史実と異なる。
木戸は明らかに門下生でも熟成でもなく、高杉も“門下生”というより“ダチ”といった方が近い。そもそも、松陰の松下村塾とは、師が何かを講義して教育するという場ではなく、同志が集まって談論風発、「尊王攘夷」論で大いに盛り上がるという場であったようだ。そういう仲間のリーダー格が松蔭であり、いろいろな縁で山形有朋のようなどこにも教えを受ける場のない境遇の者も集まるようになり、後輩もうまれてきたということのようである(尤も松蔭は、山縣のことをほとんどしらなかったといわれる)。
安政5(1858)年、日米修好通商条約が締結されると、松陰は老中間部詮勝の暗殺を計画、藩は再び勝因を捕縛、投獄した。
安政6(1859)年、幕府は松蔭の江戸への送致を命令、松陰は伝馬町の獄舎にて斬首刑。満29歳、享年30であった。
松蔭は、大老井伊直弼の暗殺も主張していた。また、幕府転覆を堂々と主張し、藩に対して大砲をはじめとする武器の支給を願い出たりしている。とにかく、斬殺、暗殺と喚く。これがまた、久坂や前原といった松蔭同様の“跳ね上がり”には受けたようだ。

 

尊王攘夷とは、君主の権威を擁護するための儒教的思想で、明治維新とはつまり、天でその周囲を星々が回る北極星にみたてられ「天」の「命」を受けて地上を統治する「天子」たる天皇を地上の統治者とするために、天命思想に基づいて江戸幕府より「命」を「革めた」テロリストだったのだ。

そのテロリストたちを「志士」と呼び、やがて「英霊」と崇めているのが「現代」の日本の首相たちだ。

 

テロリズム的思想や批判を排除して、吉田松陰を偉人扱いだけするのは危険なことだ。

「話を盛」り、客観性を欠いたまま権威者を権威者たらしめ擁護しようとする儒教的価値観が、どれほど日本を危うくするか。

それは、吉田松陰を崇め、天皇を元首とする大日本帝国憲法のような新憲法の制定に執着する安倍晋三が首相の座についてからの日本の急激な衰退が物語っている。

 

■引用・参考文献・資料

原田伊織『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』毎日ワンズ、2015年(初出2012年)

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