2022
11.14

「時間泥棒」とペトロダラー 5 - 収奪を合法化して支配するアングロ・サクソン-

エッセイ, 国際情勢, 自然・科学, 経済, 文化・歴史

「時間泥棒」とペトロダラー 1 -SWIFTの原型をつくったイタリア商人-
「時間泥棒」とペトロダラー 2 -「神の代理人」が意味するもの-
「時間泥棒」とペトロダラー 3 -「神の銀行」か「バチカン株式会社」か-
「時間泥棒」とペトロダラー 4 -バチカンの秘密諜報機関と「汚い戦争」- の続きです。

 

マフィアとフリーメイソンが関与し、枢機卿と政治家の巨大な特権で構成され、殺人事件さえ解決されず、タックスヘイヴンを活用して資金と武力の両面でテロ支援するという未知の教会のべつの顔をもつバチカン。

租税回避の目的以外にマネーロンダリングの温床になっているとの指摘されるタックスヘイヴンは、該当する国や地域はその多くがイギリスとアメリカに関係している。

歴史を遡ると、大英帝国が世界中に植民地をもっていた時代の遺産である。

大英帝国がなければ、タックスヘイヴンは誕生しなかった。

 

富=貨幣の世界と大英帝国

大航海時代まで世界の歴史は陸で展開されていた。

それが大航海時代以降は、16世紀のポルトガルとスペイン、17世紀のオランダ、18世紀から19世紀のイギリス、20世紀のアメリカと、世界の覇権は海を制した国が握ることになった。

16世紀から18世紀、絶対王政下のヨーロッパで国王は、権力の基盤として官僚制と常備軍を置き、その体制維持のために膨大な資金を確保する必要があった。

そのため多くの国王が王権神授説を主張し王権を強化し、弱体化した貴族階級とまだ発達していない市民階級に対して制約なく権力を振るい、重商主義を経済理論とした。

重商主義は、時代による形態の変遷はあるがいずれも富=貨幣と考え、海外貿易を通じて金銀または財宝を蓄積し、国富を増やすことを目指すものである。

新航路の発見以降のヨーロッパの世界への拡張は、商人の活動による影響が大きく、重商主義社会とはすなわち、国家と商人が共生関係にある社会であり、とりわけ絶対王政下では、国王がその特権を保護した特権商人と国王の共生関係にある社会であった。

 

重商主義を経済政策としたヨーロッパ各国は、海外の植民地を獲得し、現地の鉱山開発に努めた。

または、きそって輸出を促進して輸入を抑え、自国の海運業保護政策をとって国内に金銀を蓄積した。

そのための機関として、イギリスやオランダの東インド会社など特許会社が生まれ、17世紀から18世紀には金が権力の象徴になっていった。

しばしば「太陽の没するところのない」との形容句がつけられた大英帝国は、最盛期の19世紀後半から20世紀の前半においては地球上の土地の約6分の1がこれに属した。

大英帝国

 

アングロ・サクソン人と財産の収奪

今日のイギリス人の根幹を成すのはアングロ・サクソン人で、アングロ・サクソンとは「アングリアのサクソン人」という意味である。

「英国」や「英語」を意味するEnglandやEnglishは、「アングル人の土地」「アングル人の言葉」に由来し、イギリス国教会(the Anglican Church)も同様である。

アングル人すなわちアングロ・サクソン人は、一般的にはブリテン島に渡来したゲルマン人系民族を総称した呼び名で、5世紀中ころにゲルマン人の大移動の過程で北海を超えて大ブリテン島に侵入し、先住のケルト人を征服し、そこに7つの王国をつくった。

ブリテン島に渡来した初期のアングロ・サクソン人はキリスト教徒ではなく自然崇拝と複数の神々を崇拝していたとされ、英語で火曜日から金曜日を表すTuesday、Wednesday、Thursday、Fridayは、サクソン人の神々の名前が語源となっている。

・Tuesday = Tiw‘s day(Tiwはゲルマン人の戦争の神)

・Wednesday = Woden’s day(Wodenは北欧の神々の王)

・Thursday = Thor’s day(Thorは雷神)

・Friday = Frigedæ = Freya’s day(フリヤ(フリッガ)は北欧の愛の女神であり、ウォーディンの妻)

※Sunday = Sun day(太陽の日)、Monday = Moon day(月の日)、Saturday = Saturn’s day(サタン=ローマの神の日)

Tiw

6世紀アングロ・サクソン人の君主たちがキリスト教への改宗を始めて以降、イギリスの国教は、中世のカトリック教会による支配を経て、1534年のイングランド王国成立によりイギリス国教会によるキリスト教となった。

イギリスが絶対王政を確立させた16世紀テューダー朝時代、第2代国王ヘンリ8世はカトリック教会と協調していた。

1517年にルターが『95カ条の論題』を発表すると、それに反論する論文を自ら公表してプロテスタントを弾圧したので、ローマ教会から「信仰の擁護者」の称号を与えられたほどだった。

イギリスの宗教改革がドイツやスイスのそれと違うのは、ヘンリ8世は民衆ではなく国王としてイギリスの宗教改革を主導したことで、それよって絶対王政を強化して教会を国王に服従させようとした。

1534年の首長法(国王至上法)でイギリスの国王を教会の唯一の最高指導者と規定し、修道院の解散を合法化してその財産を没収した。

王領として没収された修道院の土地は、順次、新たに創設された貴族やジェントルマン、商人に対する贈与、下賜、貸与、売却という形で払い下げられていった。

 

ローマカトリック教会の要素が残るイギリス国教会

イギリス国教会は成立段階では教義や儀式、組織面においてローマカトリックと大差はなかったが、しかしヘンリ8世はカトリック教会を押さえつけて国王の力を強めた。

エリザベス1世が王位に就くと、イギリス宗教改革を完成させた。

教会組織の頂点に立って国家を治めるという国教会体制を完成させ、王権を確固たるものにしてイギリスの絶対王政の全盛期をむかえた。

1603年、エリザベス1世の死でテューダー朝が断絶し、遠縁のスコットランドのステュアート家が王位を継承すると、ジェームズ1世は「王権神授説」の基礎をつくった。

長らく「神の代理人」とされてきたローマカトリック教会の権威や権力からイギリス国王のそれを独立させ、国王を首長とし、その下に二つの大主教区をおいて階層的に教会を統制する体制をとった。

ローマ教皇よろしく王の権威権力がキリスト教によって補強される観念が国民に対する絶対的支配の理論的根拠となり、その観念がのちのヨーロッパ世界に広がっていった。

王権神授

 

「神の代理人」を必要としない「予定説」

カトリックに対抗したプロテスタントにはルター派とカルヴァン派があって、カトリック的な要素が残るイングランド国教会に不満をもち、反抗して起こった一派がカルヴァン派の清教徒(ピューリタン)であった。

カルヴァンのもっとも独自性の強い理論は「予定説」である。

予定説とは、すべての物事は神の業であるという考えを突き詰め、人の救済も(その人の信仰の努力ではなく)神によって予め定められているので、人は、職業を含めた神から与えられた現世のすべてに対して誠実に生きるべきであると説いたものであった。

ピューリタンは、「契約する相手は神」であり、「自分たちは神から選ばれた人間」であると考えていた。

だから神とのあいだに王や大主教などの入り込む必要はなかったし、神に選ばれた人間であるからこそ、神の予定に基づいて生きなければならないという信念をもっていた。

 

このころ議会は、ジェントリという地主が多くを占めていた。

ジェントリとはヨーマン(独立自営農民)以上貴族以下の土地所有者のことで、政治的にはイギリス議会政治の中心となり、経済的には初期のイギリス資本主義を支え、17世紀以降のイギリス社会の支配階級となった階層で、「ジェントルマン」はこの地主貴族ジェントリから生まれた言葉である。

1603年、王権神授説の基礎をつくったジェームズ1世は、即位するとイギリス国教会によるキリスト教を国民に強制し、議会を軽視した政治を行った。

1625年、息子のチャールズ1世が即位すると、ジェームズ1世より王権神授説を受け継いで絶対王政を維持し、イギリス国教会による統制を強めて中産階級に対する不法な重税課税を行い、ピューリタンをきびしく弾圧した。

1628年に承認された議会の同意なく課税や人身拘束をしないとした「権利の請願」をチャールズ1世が無視したことで、1642年にピューリタン革命が引き起こされ、チャールズ1世はクロムウェル率いる議会軍に敗れた。

このピューリタン革命はジェントリ主体の革命であり、ピューリタン革命を指導したオリヴァー・クロムウェルも「生まれながらのジェントルマン」であり熱心なピューリタンであった。

ジェントリ

 

英国紳士による土地収奪

ピューリタン革命は宗教革命であった一方で、ジェントリたちが特権的商人を保護する重商主義に対して自分たちの勢力を拡大しようとして起こした土地収奪のクーデターでもあった。

17世紀以前のイギリスは、貧困者は病弱な者だけであった。

ほぼすべての国民が土地を自由に使用できたため、働ける者は自分はもちろん病人の分まで衣食住を確保することができた。

イギリス国土のほとんどがその地域に住む人々の共有財産であり、私有地の大半は家族が自活できるだけの区画に分割され、そこで農作物をつくり、家畜を放牧し、家を建てることができた。

 

それが急減に変化した原因が、毛織物工業の発展であった。

エリザベス1世の絶対王政下における重商主義政策のもと保護された毛織物産業は、工場制手工業と問屋制によって発展し、イギリスのもっとも重要な輸出品となった。

羊を飼うのに広大な牧草地が必要になったため、イギリス各地で人びとの共有財産であった土地の囲い込みが行われるようになり、強力な地主が出現してきた。

武装した暴力団まがいの連中を雇ってそこに住み着いている人びとを力づくで追い出し、手に入れた広大な土地に牧場をつくり、羊毛を産出して莫大な財産を蓄積していった。

ジェントリはクロムウェルが政権を掌握すると、手に入れた土地の権利を議会において合法化し、完全に自分たちのものにした。

ピューリタン革命を後押ししていたのは地主貴族ジェントリであった。

 

貧富の格差を拡大した産業革命

それはちょうど、ヘンリ8世が首長法で修道院の解散を合法化し、その土地や財産を没収したのと同じ“合法的”収奪であった。

新たに地主となった者は、その後できた新しい議会(下院)において選挙権をもつことになった。

牧場と化した農地では、自ら土地をもたずに地主から借りて耕作し小作料を支払う小作農民は必要とされなくなり、つぎつぎと失職して村を離れた。

土地を失った農民は困窮を極めて浮浪化する者も多く、農業従事者が離村したことによって共同体としての村落はつぎつぎと姿を消した。

人文学者トマス・モアは、農民が土地を失って没落する現実を「羊が人間を食べている」と批判したが、都市に流入した農民のなかには農業従事者から都市賃金労働者と化す者もいた。

土地囲い込みイメージ図

 

この時期、生産技術の革新とエネルギーの変革が起こったこと、すなわち家内制手工業に代わり工場制が登場するきっかけとなる機械がつぎつぎと発明されたことも、農業従事者の離村と都市賃金労働者化の動きをさらに加速させる一因となった。

1769年、ワットが蒸気機関の特許を取り、同年、アークライトが水力紡績機を発明した。

1767年にはハーグリーヴスがジェニー紡績機を、1779にはクロンプトンがミュール紡績機を、1785年にはカートライトの力織機を発明した。

1740年代から50年代には石炭による精錬が実用化され、1788年には蒸気機関が溶鉱炉に利用され始めた。

そして強い力をもった一握りの地主は、土地から得た富の一部を1760年以降に発明された製造機械の購入に充て、その機会の操作のためにわずかな賃金でもはや自立できない庶民を雇用し始めた。また、残りの富を使って、奪った資産の権利を得るために財産法を確立した。さらに、圧制者に隷属するより貧困状態にいることを選んだ貧困者には、自活を促す貧民救助法も立法化させた。

トインビーは、産業革命を機にもっとも大きく変わったのは公共用地の激減であると指摘している。国民誰もが利用できた公共用地を私有地へ転換する共有地の囲い込みは、前述したように1760年以前にも実施されてきた。1710~1760年で約33万4974エーカーが囲い込みされている。しかし、1760~1843年には、その面積は約700万エーカーに急激したのである。

人口から見ても、この時期いかに大きな変化が起きたかがわかる。1700~1750年の人口増加率は20パーセント以下だったが、1750~1800年には50パーセントに増え、全人口は900万人に膨らんだ。人口分布も劇的に変化し、1696年には人口の75パーセントが農村で生活していたのに、1760年までに都市部の人口は50パーセントにのぼり、1881年には三分の二が都市部、残りの三分の一が農村部と分布は逆転した。そしてこの時代、イギリス国土の半分を、わずか2512人で所有していたのである。

1688年の名誉革命以降、ジェントリは実質的に最高の権力をもち、中央政府もジェントリの手中にあった。社会的、政治的権力の基盤となった土地を熱心に集め、公共用地の囲い込みや所有地周辺の土地の買い占めによって、ジェントリの社会的地位、政治的権力は増大し続けた。

また、その頃は新興の商人が現れはじめた時期だが、彼らが政治的権力や社会的地位を得るためには、地主になる必要があった。そこで、都市部で富を蓄積した商人は土地を購入し、また金持ちになった旧家の地主は、財界の大立者との縁組により、さらに多くの土地を購入した。

要するに、一般庶民が土地を所有できなくなったのは、その時代の政治状況によって土地がきわめて重要になったためであった。その結果、深刻な貧困が生まれ、囲い込みの結果、200人が生活していた土地にはわずか2、3人しか暮らさなくなった。土地を奪われた農民は職を失い、その後都市部に吸収されるまでの間、放浪者となったのである。(『アングロサクソンは人間を不幸にする』p.48-50)

 

 

産業革命とは、それまで土地を共有して富の生産と分配が自然と行われてきた中世的規制が、貨幣獲得と蓄積を目的とした競争にとって代われたことである。

それは、連発した機械の発明が、奴隷的労働者の発生より先に起きていれば違ったことになったかもしれないが、しかし土地の囲い込みと公共資産の民営化の結果、自活手段を失った多数の人間が一握りの人間のために労働力を提供するようになった「爆発的に生産力が向上した歴史的事実発的」を産業革命と呼んでいる。

そして資本主義、すなわち、生産手段を所有する資本家が、労働者を雇用して商品を生産し利潤を追求する経済体制の成立は、富=金と考えた初期の重商主義の段階から、人間の幸福より富の生産と蓄積を追求し、競争によって市場を支配する体制に変化したことでなされたと言える。

「富める者」と「窮する者」、「搾取する側」と「搾取される側」という二極分化は、「貨幣財産の蓄積」と「無産者の形成」という条件がそろったことで自動的に推し進められていったのである。

その体制の形成を担った収奪を合法化するアングロ・サクソン式資本主義が、今日の世界標準の経済システムになっているのである。

 

■参考資料

ビル・トッテン『アングロサクソンは人間を不幸にする アメリカ型資本主義の正体』PHP研究所、2003年

Origins of the days of the week

Are you Descended from English Gentry, Nobility or Royalty? – Part 1

西山茂「タックスヘイブン地域の歴史と現状 ―ケイマン諸島を中心に―」早稲田国際経営研究

玉木俊明「重商主義から新重商主義へ ―なぜ格差社会はなくなり、そして復活したのか―」京都産業大学世界問題研究所紀要、2020年

蔵谷哲也「重商主義と称される包括的な概念」四国大学紀要、2016年

村上和光「イギリス重商主義国家の基本構造:国家理論の体系化(2)」金沢大学経済学部論集

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