2022
11.28

「時間泥棒」とペトロダラー 7 ― 世界恐慌の原因となった紙マネー ―

国際情勢, 経済, 文化・歴史, エッセイ

「時間泥棒」とペトロダラー 1 - SWIFTの原型をつくったイタリア商人 -
「時間泥棒」とペトロダラー 2 - 「神の代理人」が意味するもの -
「時間泥棒」とペトロダラー 3 - 「神の銀行」か「バチカン株式会社」か -
「時間泥棒」とペトロダラー 4 - バチカンの秘密諜報機関と「汚い戦争」 -
「時間泥棒」とペトロダラー 5 - 収奪を合法化して支配するアングロ・サクソン -
「時間泥棒」とペトロダラー 6 ― 植民地という「千年王国」と変質する「明白な天命」―の続きです。

 

先住民の虐殺や領土侵略を正当化し、それを「文明化」とみなす「明白な天命」として拡大したアメリカ。

それは、千年王国としての植民地が必要だったピューリタンが、17世紀にアメリカに移住をして独立を果たし、植民地支配で富を生み出すというアングロ・サクソン系の資本主義の成果であった。

資本主義とは、生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造のことである。

資本主義の目的は、だからお金や土地を持つお金持ちがいか儲けるかということである。

アングロ・サクソンが生み出した植民地経営型資本主義は、産業革命の発展とともに世界中に広まり、それに加えて金融技術の発展が持つ者と持たざる者の差をいっそう広げた。

持つ者たちは自分たちの儲けを極限に増大させるために持たざる者を横暴に扱い、そうして20世紀のアメリカは、自国のみならず世界を「マネジメント」してお金を儲ける金融大国に肥大した。

 

「マネー」とはなにか

市場に供給されるお金の量マネーサプライを監視して金利を決めるのは、日本では日本銀行であり、アメリカでは連邦準備制度委員会(FRB)である。

マネーサプライや金利は、企業活動や国民の生活に大きな影響を及ぼす重大な決定であるにもかかわらず、その決定に国民が参加することはない。

会計実務では現金は、手許現金(日銀券+硬貨)+要求払預金(預金通貨)と定義されるが、アメリカの経済学者アーヴィング・フィッシャーは、それを「財布マネー」(Pocketbook Money)と「通帳マネー」(Checkbook Money)と呼んだ。

財布マネーは目に見えて触ることができ、売買によって人から人へと無記名で渡る。

通帳マネーは、人びとがお金だと思い、実際にお金があると信じ、実際のお金として口座間を移動して要求に応じていつでも現金化できると思っていることで成り立ち、他人の手に渡る際に受取人の許可を必要とする。

この財布マネーと通帳マネーの性質の違いが一端となって引き起こされたのが、1929年から1933年にかけての世界恐慌である。

 

世界恐慌直前の1926年から1929年と、世界恐慌が起きた後の1929年から1933年を比較すると、アメリカを流通していた通貨の総量および通帳マネーと財布マネーは、以下のような増減を示した。

流通通貨総量: 270億ドル → 200億ドル

通帳マネー: 230億ドル → 150億ドル

財布マネー: 40億ドル → 50億ドル

世界恐慌は、これらの数字に要約されるとフィッシャーは言う。

通帳マネーが230億ドルから150億ドルに80億ドルに減ったことは、財布マネーが40億ドルから50億ドルに増えたことが原因である。

当時、アメリカの銀行は、1ドルの準備金で8ドルのお金を貸し出すことができた。

ということは、預金が1ドル引き出されたら(準備金が1ドル減ったら)、8ドルの貸出を取り戻さなければならなかったということだ。

1929年から1933年に起きた出来事はまさにこれで、アメリカ国民が銀行から10億ドルを引き出したので、銀行はこの現金を用意するために80億ドルの貸出(信用貸し)を減らさなければならなかった。

 

アメリカを皮切りに資本主義世界全域に波及した大不況と、波及的に招かれた大量の企業倒産と労働者の失業。

その原因が、国民が自分のお金だと思って銀行に預けていた80億ドルが破壊されたことにあることについては、ほとんどの人は理解も実感も言及もしない。

通貨80億ドルの犠牲や、大不況、企業倒産と労働者の失業は、だから銀行が信用貸しではなく、「100%マネー」(100%の準備金を積む制度)をとっていれば起きることはなかったことについても。

世界恐慌のもっとも悲しい写真のひとつ

 

イギリス最初の銀行・金細工職人ゴールドシュミット

この信用貸し、すなわち「信用創造」と呼ばれて現在世界中で採用されている金融制度であり、資本主義社会において経済を発展させていく基本的な仕組みとされている。

紙幣が誕生する前、物々交換の媒介になるお金は、米や小麦、貝殻、貴金属であった。

10世紀の中国宋王朝で世界最初の紙幣が発行されると、通貨供給を直接支配したのは皇帝であった。

皇帝が中央銀行であり、玉璽を押した紙幣だけが通貨であり、ほかのいっさいの貨幣の創造を認めず、偽造すれば死刑となった。

最大権力者が全権を握り、景気に応じてマネーサプライをコントロールできた中国とは異なり、ヨーロッパでは、金銀は追い求めたが、通貨の意味や性質を理解していなかったため、為政者が通貨をコントロールすることはなかった。

通貨をコントロールしていたのは、国王の刻印が押された金貨や銀貨を製造する役割を担っていた金細工師であり、現在につながる銀行の基礎を築いたのは、通貨をコントロールする権力を手にした金細工職人(金匠)であった。

ロンドン金融市場の代名詞ロンバード・ストリートは、シティ・オブ・ロンドン(シティ)にある約300mの通りで、13世紀末にユダヤ系の金融業者が追放されたのち、北イタリアのロンバルディアから移住した商人らが貿易がらみの両替・為替業で資産を増大させていった。

イギリス独自の紙幣発行業務などに関する技術的発達は、このロンバード・ストリートから始まった。

 

ロンバードストリート

 

絶対王政下末期のチャールズ1世は、財政が困窮する中、軍事費を中心とした経費調達のために相次ぐ増税を実施した。

しかしジェントリ中心の議会や国民の抵抗が強く、無制限に増税することはできなかった。

チャールズ1世は資金借り入れ計画を立てたが、スペイン王は40万ポンドの貸付を拒否し、ローマ法王はカトリックに改宗しない限り断固として貸さず、ロンドンの富裕階層も反国王派であったため貸付を断った。

貨幣改鋳による収益金の獲得は、国民の反対にあって実施に至らなかった。

いよいよ窮したチャールズ1世は、国営造幣局があったロンドン塔に商人が預託していた金地金13万ポンドを強制的に押収した。

4万ポンドの貸付と引き換えに預託金を奪還した商人は、国王に対する警戒心から造幣局から引き出して資金の自己管理を試みた。

が、手代(営業上の代理権をもつ使用人)や雇人(使用人)の不正が横行したため、頑丈な金庫をもって両替業務によって資産を増大させていたロンバード・ストリートの金細工職人(金匠)に預金するようになった。

 

ロンドン塔造幣局

 

金細工職人は無利子あるいは低利の預金を高利で運用し、その収益の一部を預金者に還元するなどしたので、金匠に預金するのが一般化していった。

そうして多くの人が金匠の保管庫を利用するようになると、つぎに人びとは、預かり証の利用価値が高いことに気がついた。

決済のために引き出された金銀は、受け取った金銀がまた金細工職人の保管庫に預けることになるため、金銀そのものを動かさずに預かり証だけを動かして決済した。

結果、金銀そのものではなく預かり証が決済手段の紙幣として流通するようになった。

さらに金細工職人は、商取引の決済に使われていない保管庫に眠ったままの金銀を貸し出して利子を取り始めた。

金銀の貸付を受けた者もまた、金銀をそのまま持ち歩くのは物騒だったので、借りた金銀を金細工師の保管庫に預けたままにして預かり証を発行してもらった。

預かり証はすでに決済手段として信用を得ていたから、貸付を受けた者も決済する者も現物の金銀でなくても預かり証だけで十分だったし、保管庫の中の金銀全部が動くわけではないことを知った金細工職人は、保管している金銀の量以上の預かり証を刷って貸し出すようになった。

そうして金細工職人の上位数名は莫大な預金を獲得し、イギリスにおいて最初の銀行業者と呼ばれるようになった。

この預かり証所がいわゆる「金匠手形」であり、すなわち「ゴールドスミス・ノート」であり、現在の銀行券の前身である。

 

ゴールドスミス・ノート

 

「戦争でできた国の借金を銀行が融資する」モデルの確立

いざというときには金細工職人に預かり証を提示すれば、自分が預けた金銀の現物を引き出せる。

金銀を預けた者も借りた金銀の預かり証を発行された者も、そう信じているうちはこのシステムはうまく機能する。が、皆が一斉に金銀を引き出そうとすると途端に破綻する。

なぜならその相手は、預けた人が信じている分に見合うだけの中身を持ち合わせていないのだから。

名誉革命直後の1688年から1697年にかけて、イングランド王ウィリアム3世がフランスとの大同盟戦争(アウクスブルク同盟戦争)で金銀を使い果たし、イギリスには借金が残った。

イギリスの財政支出は、それ以前の年200万ポンドから年500万~600万ポンドにまではね上がり、1692年、国王の借金である国債の発行に関する法律が初めて議会で通過した。

1694年、大同盟戦争の財源調達方法に基づいてイングランド銀行が創設された。

イングランド銀行は、スコットランド人商人ウィリアム・パターソンの計画を採用し、120万ポンドの資本金を民間人から集め、同額を年利8%で国王に長期融資した。

国王からの見返りは年利8%だけでなく、4000ポンドの管理手数料を支払い、資本金と同額の120万ポンドまで捺印手形を発行する特権を与えた。

年利3%の捺印手形は譲渡可能で、銀行券として機能した。

金利のつかない銀行券は、1716年以降、イングランド銀行によって発行されるようになった。

 

パターソンの提案は金細工職人のシステムと同じであり、はじめて国内に流通したイングランド銀行券は偽物のお金であり、実在しないマネーだった。

金細工職人同様、現金化できる銀行券は一部に限られることを知りながら国民を騙したイングランド銀行は、国王へ資金提供をすることで特権を握り、戦争でイギリスを勝利に貢献し、ほかの銀行へも強い影響力を持つようになった。

国債の流通管理も独占して行うようになったグランド銀行は、国家の銀行としての地位を築いていった。

1725年、現代金融制度の本がイギリスで確立した結果、銀行にある準備金はますます銀行券のごく一部となっていった。

1750年までに12行だったイギリスの銀行の数は1776年には150行に、1810年には721行に増えた。

地方銀行と呼ばれたそれらは金(ゴールド)ではなくイングランド銀行券を準備金としており、紙マネーに裏づけられた紙マネーを元に基本的にだれでも銀行がつくれるようになった。

1833年、銀行条例の発布によりイングランド銀行券は法定通貨として認められ、翌年、法律上完全にイギリスの国庫を引き継いだ。

それによりイングランド銀行は、イギリス政府唯一の公金庫、すなわち中央銀行としての地位を固めた。

イングランド銀行憲章の封印

 

紙マネーで紙マネーを刷るインチキ

日本は中央銀行制度を外国から輸入したので、中央銀行は最初から中央銀行の地位についている。

しかしその先駆者たるイングランド銀行が、特殊とはいえ政府のコントロール下にはないように、日本銀行も政府と密接なつながりをもっていることに違いはないが、完全にコントロール下にあるわけではない。

世界で最も大きな影響力をもつアメリカの中央銀行も同様である。

アメリカの中央銀行制度を司る連邦準備制度(FRS)を統括する連邦準備制度理事会(FRB)の、最大の存在であるニューヨーク連邦準備銀行の株主は、ロスチャイルド銀行(ロンドン)、ロスチャイルド銀行(ベルリン)、ウォーバーグ銀行(アムステルダム)など欧米の国際金融資本たちであり、アメリカ政府はひと株もその株式をもっていない。

ファースト・ナショナル銀行元頭取でアメリカ下院議員でもあり、ルイス・マクファーデンは、連邦準備制度の創設や、フランクリン・D・ルーズベルトの金本位制廃止の決定に対しても強い批判を行った。

のちに「連邦準備制度の騒々しい敵」と呼ばれたマクファーデンは、1932年の議会で次のように述べている。

この国には世界で最も腐敗した機関がある。連邦準備理事会と連邦準備銀行である。

連邦準備制度理事会は、アメリカ政府とアメリカ国民から国債を支払うのに十分な資金をだまし取っており、それらが協力して行った略奪と不法行為によって、この国は国家債務を何倍にもした。

この邪悪な機関はアメリカの人びとを食い物にして貧困に陥れた。そのことで事実上政府を破産させ、政府の破産は、法律の穴と、連邦準備制度理事会を支配する金持ちのハゲタカの腐敗した行いによってもたらされた。

連邦準備銀行はアメリカの政府機関だと考える人もいるが、実際は政府機関ではない。

それらは自分たちの利益のためにアメリカ国民を食い物にする、民間の信用独占企業である。

 

 

国民にたかる“金持ちのハゲタカ”

アメリカ国民を食い物にし、世界中の資本主義国を巻き込んだ大恐慌は、1929年のニューヨーク、ウォール街の株式の大暴落から始まった。

しかし世界金融の取引量の割合でみれば、ニューヨークのウォール街をロンドンのシティが凌駕しており、シティは、国際的な株取引の約半分、国際新規公開株の55%、国際通貨取引の35%を占めている。

さらにシティは自治都市としての歴史が古く、9世紀にこの地を支配したサクソン人によって自治都市制度が採用された。

とりわけシティが発展したのは17世紀、16世紀のエリザベス1世の時代より大英帝国が世界中に植民地を建設していた頃からで、近代的な地方自治制度が確立されたのは19世紀に入ってからだが、現在もロンドン市長とはべつに市長がいる。

タックスヘイヴンは大英帝国の植民地の産物であり、大英帝国がなければタックスヘイヴンは存在しなかったが、そのすべてのタックスヘイヴンを束ねる総元締めがシティなのである。

 

紙マネーを根拠に紙マネーを創り出してだれでも銀行を作ることができるというイギリス発の巧妙で壮大なインチキを、イギリスからの入植者が独立したアメリカで独自に改変し発展させたアメリカの中央銀行。

アメリカが、というより、アメリカの主幹道路や大動脈ともいえるドルの流通をコントロールする“金持ちのハゲタカ”が、事件や事故を通じて、それにたいする法律を整備して自分たちの利益を手放さないためにしていることは、強奪や略奪というより、国民に対する「たかり」なのである。

 

■参考資料

Irving Fisher『100%MONEY』2014年(初出1930年)

ビル・トッテン『アングロサクソン資本主義の正体』東洋経済新聞社、2010年

ビル・トッテン『アングロサクソンは人間を不幸にする』PHP研究所、2000年

オーウェン・ジョーンズ著、依田卓巳訳『エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する』海と月社、2018年

浅田毅衛「イングランド銀行成立前史」明大商学論叢、1959年

北村行伸「やさしい経済学」日本経済新聞、2010年

山口健次郎「江戸期銭目手形について」日本銀行金融研究所、1996年

寺地孝之「イングランド銀行の中央銀行化過程 ―1839年恐慌による検証―」商学論究、1988年

Congressional Record, June 10, 1932

 

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