いまの日本はなにかがおかしい。

なにかがおかしいのははっきりしているのだけれど、そのおかしさを言葉にしようとするとうまく言えない。

安倍晋三をキーワードに、そのおかしさの原因について考えました。

そして、『そして安倍晋三は終わった』(電子書籍版巻)ができあがりました。
(電子書籍版上下巻を1冊にしたPOD版『そして安倍晋三は終わった―天命を受けた世界の中心を自称し暴走する中国と一党独裁安倍政権の危険な類似点―』こちらから)

内容は目次をたどることで想像はつくと思いますが、安倍晋三から始まった考察は、思わぬところにたどり着きました。

このおかしさは、でもいまに始まったことではなくて、かつて政治がわからなかった頃にも肌で体感していたことでした。

 

子どもの頃、あるいは学生、社会人というものを経験する中で、「なんでこの人はこんなに横柄なのだろう」と思う人がいました。

「横柄」を「おうへい」と読むと知るよりずっと以前から、それを察知する感覚が人の中に組み込まれているのは、その感覚がそれだけ人生を生きる上で重要なキーワードになるからだと思います。

のちに気づくようになったのは、そういう人に限って人気者で、あるいは世間的な評判がよく、または優秀だとされていることです。

それにはもちろん実力といえる能力――つまり学校の成績がよかったり、頭の中のことを目に見える形にすることに優れていたり、たくさんお金を稼ぐことがでるというようなこと――に長けていたのですが、そういう人と近しく話をするようになると、やがて、決まって他人と自分に見せる顔は違うということに気づきました。

それは、シャイとか人見知りとか内弁慶とか、そういうことも含みますがそればかりが原因ではなくて、こういうときにはこうする、他人にはこういう顔を見せるというようなある種の明確な意思に基づく切り替えによって、その見せる顔の違いを、その近しさの度合いによってコントロールしていたようでした。

中にはやくざのような口調に変わる人、暴力を肯定する人、「俺はお前を呪い殺せるんだ」とすぐばれる嘘で脅迫した人もいました。

 

「おうへい」という単語の読み方がわからなかった頃に感じていた、あの違和感と恐怖と嫌悪感がないまぜになったもやもやとした感覚は、「横柄」という単語とその意味を知ったとき、爽快感とともに晴れやかに消えていきました。

いまの日本のおかしさの原因を知る上で、中華思想と儒教を調べる必要に迫られたことはそれと同じで、いまになって思えば、子どもの頃から段階的に経験してきたすべての出来事がその道しるべとなっていたことを発見することでもありました。

そしてそのようなことは、だれの人生にも起こっていると思います。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とは、江戸時代の俳人・横井也有の俳文「化物の正体見たり枯れ尾花」が変化した句で、「疑心暗鬼で物事を見ると、悪い方に想像が膨らんでありもしないことに恐れるようになるということ」を意味します。

こわいと思っているものの実体は、確かめてみると案外平凡なものであり、だからこそこわがらずに実体を見つめることが必要となるのですが、問題は、その実体が知らされていないことです。

たまたま、あるいはうっかり失念して知らされていないのでなく、「明確な意思に基づいて知らせるべきことを知らせない」のであれば、そしてそれを国が国民に対して行っているのであれば、わたしたちは何をどうすればよいのでしょう。

「日中交換記者協定」という単語さえ知らされない日本では、勇気があっても幽霊の実体を正しく見ることがままならないのが現状です。

でも探せばYouTubeなどでその実体を語ってくれている人を見つけることはできます。

それぞれがそれぞれの言葉で伝えるべきことを伝えていくことでしか、幽霊の正体が枯れ尾花であることを現実に認識することは叶わないと思います。

 

もっと上手に書けたという反省点は自作への課題とし、この本が、そのまま読者の答えにならなくとも、読者が自らの問題の答えを自らの手で導き出せるようになる、その一助となれることを願っています。

リサ・マリクラ