『そして安倍晋三は終わった』を書くにあたり、たくさんの文献・資料を引用・参考にしました(巻末に一覧を掲載しています)。

ここからしばらくは、引用・参考にした文献・資料を(内容とは直接関係のない話も併せて)いくつか紹介いたします。

 

安倍晋三は、よく「息を吐くように嘘をつく」といわれるが、そんな性質が同じ人間で本当に起こり得るのだろうかとずっと訝っていた。

人間はそんなに簡単に他人を欺けるものではないと思う一方で、欺くならなぜ欺くのだろうと考えるうちに、以前、旅先のヨーロッパで物乞いを見かけたときのことを思い出した。

その物乞いは女性だった。

赤黒い肌をし、長い髪を編んで肩に垂らし、くすんだ色の服装で、いかにもお風呂に入っていなさそうな風情で屋根のついた歩道に地べたに座っていた。

紙コップに入った小銭を通りすがる人びとに向け、揺らしてじゃらじゃらという音を聞かせて同情を誘っていた。

かなしみと絶望に満ちた表情と、呻くような声で通行人に紙コップを向ける、その現実をつくりだしている原因を想像してにわかにショックを受けたわたしは、でも相手にしないと決めた。

ここで小銭をあげることは問題の根本的な解決にはならない。

個人のこまごまとした力より、もっと大きな力(あのときはいまよりもよくわからなかったけれど、政治とか)が働かなければ意味がないことだ。

そう思うことで、彼女の不幸とわたしは無関係だと思おうとし、心を強く持とうとしたのだった。

 

数時間後の夕方に同じ道を戻ったとき、その女性はまだ同じ場所に座り、同じようにじゃらじゃらと紙コップを鳴らしていた。

わたしは前方にその姿を見つけ、相手にすまいと再び心を強く持ったはずなのに、いざ通りすぎると、ふいに気が変わり、引き返して1ユーロ硬貨を紙コップに入れた。

女性はこうべを垂れてすぐに次の通行人に紙コップを向け、わたしもその場を去った。

よいことをしたのか余計なことをしたのかわからず、気分も別段よくも悪くもないまま、宿を目指して歩いた。

時計を見ると17時をすぎていたので、食べる物を買って帰ろうと来た道を引き返したときだ。

向こうから、さっきまでかなしみと絶望に満ちた表情で地べたに座り同情を誘っていたあの物乞いの女性が、スーツ姿の女性と並び、はつらつとした笑顔で会話しながら歩いてくるではないか。

ついさっき見たかなしみに満ちた表情は、はっきりとした意思のある女性のそれに変わっていて、まるで別人のようだった。

まるで別人のようでしたが肌の色や髪型や服装がたしかにさっきの物乞いで、あの女性に関していえば、みすぼらしい姿と絶望した様子で同情を誘う物乞いにすっかりなりすましていた。

ほんとうに撮影の一部だったのかもしれないし、あるいは女優ではなく本職の(?)物乞いだったとしても、あの女性は17時を過ぎたとたんにスーツ姿の女性と並んで歩けるくらい社会的な交流がある人だった。

そしてそれは本質的には物乞いではなく、女優と呼ぶのが相応しいと思ったことだった。

 

移民が多いあの国で、あの女性だけが、たまたまあの日だけそんなことをしているとは考えにくい、ということを、当時のわたしは深く考えようとしなかった。

あれは移民が入りやすいヨーロッパでの出来事だから、日本とはわけが違うと思ったのだけれど、そうしているうちに日本は、気づけば世界第3位の移民大国になっている。

「小泉竹中改革」で日本人の雇用は破壊され、事実上の「移民法」とも呼べる改正入国管理法が成立し、日本人の権利が軽んじられている。

あの物乞いに扮した女性は紙コップで小銭を集めたが、これがスーツを着て胸に国会議員のバッチをつける男性なら、使われる道具は何と何になるだろう。

 

嘘を平気でつける人は確かにいる。

その最たる例が朝鮮王朝の両班だと知ったのが『朝鮮事情』だ。

彼らは実体とは違うなにかに完全になりすましてその嘘を貫きとおし、もっともらしい大義名分を掲げて国民から搾取し、嘘を本当だと思わせて私利私欲のために蠢いている。

 

■引用・参考文献・資料

ダレ著、金容権訳『朝鮮事情』平凡社、1979年