2022
11.07

「時間泥棒」とペトロダラー 4 -バチカンの秘密諜報機関と「汚い戦争」-

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「時間泥棒」とペトロダラー 1 -SWIFTの原型をつくったイタリア商人-
「時間泥棒」とペトロダラー 2 -「神の代理人」が意味するもの-
「時間泥棒」とペトロダラー 3 -「神の銀行」か「バチカン株式会社」か-の続きです。

 

マフィアとフリーメイソンがかかわり、殺人事件さえ解決されず、枢機卿と政治家の巨大な特権で構成され、秘密のヴェールのむこうに教会のべつの顔もつ“洗濯屋”バチカン。

“慈善事業”の名のもとに集まったマネーを特定の人物に流し、“神の恵み”を末端にまで行きわたらせて「沈黙は美徳」という“口封じ”に成功していている信じがたい現実は、しかし「神の代理人」を自称する者が反キリストであり悪魔が具現化したものであり、彼らが神と崇めるものは悪魔であることを考えれば、さもありなんである。

 

教皇の無謬性

麻薬や武器の密売や資金洗浄、借金の責任を負わない契約書など、反社会的行為にかかわるローマ教皇は、しかし1869年の第1回バチカン公会議以来、「無謬性」がドグマとされている。

ローマ教皇は、全カトリック教会の最高統治権をもつ司教として信仰および道徳について正式な決定を下す場合、神の聖霊によって誤ることがありえない。

ここで疑問に思う。

ならば正式ではないことを決定する場合において、教皇が「戦争は正義だ」と非公式に言ったらどうなるのか、と。

世界平和とは非キリスト教国にキリスト教を教え込むことであるから、世界中にキリスト教を広め、布教した国はその者に統治権を与える。受け入れない者や抗う者は殺したり奴隷にしたりしてもかまわない。麻薬や武器の密売、それにかかるマネーロンダリングもOK。でもいまは16世紀と違うから、暴力行為や不法行為は決しておもてに出ないようにやるのがキリスト教精神に基づく正義である。それをより大きく達成した人が祝福されるであろう、という“神の言葉”を、教皇が非公式の場で信者に伝えれば。

 

第一回バチカン公会議でのピウス9世

 

バチカンの外交目的

そのバチカンが掲げる外交基本方針は以下である。

バチカンの外交目標は、キリスト教精神を基調とする正義に基づく世界平和の確立、人道主義の昂揚にある。そのための武力紛争の回避、人種的差別の廃止と人権の確立、発展途上国に対する精神的・物質的援助等(外務省)

 

しかし、神と悪魔を反対にする反キリストによる表向きの方針が上の様であるなら、バチカンの真の外交方針は以下のようになる。

バチカンの外交目標は、ユダヤ教精神を基調とする不義に基づく世界紛争の確立、非人道主義の昂揚にある。そのための和平交渉の回避、人種的差別の設定と人権の撤廃、先進国に対する精神的・物質的妨害等

 

この好戦的で差別的、異常ともいえる目標に狂信的で熱狂的な集団に感じる既視感は、16世紀の「神の軍隊」イエズス会にある。

当時のローマ教皇パウルス3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ)が後ろ盾になって修道会として公認されたイエズス会が、世界的に行った“布教”のかたわら目標としたことは、武器販売と植民地化による世界支配というカトリック的世界観の体現だった。

400年以上経って16世紀と変わらないように見えるバチカンの目標に紐づいたカトリック教会が世界中に散らばっていることは、世界中にスパイ組織のネットワークが張り巡らされているようである。

 

そのバチカンがたしかにスパイ組織を備えていると言っているのが、アメリカの諜報機関CIAの元長官である。

CIA5代目長官アレン・ダレスは、バチカンにはスパイ機能を備えた秘密諜報機関(シークレットサービス)があり、その名前はサンタ・アリアンザ(Santa Alleanza「神聖な同盟」)またはエンティティ(L’Entità「実体」)であると言っている。

サンタ・アリアンザの中でもスペインで生まれた二つの宗派イエズス会とオプス・デイの組織力は突出しており、イエズス会の諜報能力は最大規模のものである。

 

 

バチカンの秘密諜報組織

カトリック教会は、何世紀ものあいだ「教会の外に救いなし」という“真理“を固く守り続け、植民地においては「改宗か死か」の二者択一で改宗しない者を虐殺してきた。

信仰の大義だけでなく、経済的および政治的大義にも奉仕することを目的としたスパイを備えたバチカン独自の秘密諜報組織の真の創設者には諸説あるが、1566年、イギリスのエリザベス1世に代表されるプロテスタントと戦うために、最初に教皇庁のスパイを組織したのはピウス5世だった。

ピウス4世に後押しされて彼が作ったピラミッド型の組織により、教皇は、教皇の戒律と教会の教義に違反する可能性のあるすべての人から情報を収集し、異端審問で裁くことができるようにした。

創設資金はスペイン王フェリペ2世によって支援され、初期のころのエージェントは「神の軍隊」イエズス会士の中から採用された。

哲学者、天文学者、航海士、植物学者、武器、爆発物、毒の専門家もおり、のちにベネディクト会士やや教皇庁、ローマの若い神学生がエージェントとなった。

 

国内外を問わず諜報活動の触手を伸ばすバチカンの秘密諜報機関は、バチカンの憲兵隊と同様、バチカンの安全保障委員会を担う主要機関のひとつである。

バチカン安全保障委員会は、1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世はメフメト・アリ・アジャによる暗殺未遂事件後にヨハネ・パウロ2世によって創設されたものであり、週2回の会合が設定されている。

バチカンの憲兵隊は、治安部隊とイタリア共和国軍の退役軍人130人で構成されており、テロ対策や情報技術など特定の側面で協力するために国際刑事警察機構インターポールに加盟している。

しかしバチカンは、バチカン憲兵についてのみインターポールと犯罪人引渡条約を結んでおらず、したがってバチカンの最も重要な秘密は外部から知ることはできない。

歴代ローマ教皇の目的は、サンタ・アリアンザを創設した教皇ピウス5世の目的と同じであり、バチカンの目的は教皇と同じであり、この目的は変わることがなく、変わるのは信仰をとりまく環境だけである。

時代が変わっても変わらない目的のために掲げられるイデオロギーもまた、変わることなく非常に明確である。

「教皇が信仰を守るために誰かを抹殺するように命じた場合、それは疑問に思うことなく行われる。教皇の声は神の声であり、私たちは彼の手足である。」

作家のカルロ・カスティリオーニが言ったように、教皇とは「天国では神をもち、地上では自分自身をもち、地下ではサンタ・アリアンザをもつ」者なのである。

 

ピウス5世

 

クーデター前夜と「解放の神学」

冷戦下、ラテンアメリカ諸国の社会主義化を恐れていたアメリカ合衆国は、1951年、アメリカ州機構(OAS)を発足させ、南北アメリカ大陸地域の諸問題解決に対して中心的役割を果たすとした。

実際はラテンアメリカの共産圏に対する封じ込め政策の一環であり、アメリカ合衆国のラテンアメリカへの監視と干渉を強めるものであった。

1982年、ヨハネ・パウロ2世の教皇時代に「黒い修道士橋」で暗殺されたアンブロシアーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィは、“神の名において”融資された資金を、アルゼンチンなど中南米の独裁政権に提供し、バチカンが大株主であるペーパーカンパニーを通じて資金洗浄をしていた。

それは1981年、アメリカ合衆国でロナルド・レーガンが大統領になり、バチカンの秘密諜報機関がCIAの支援を受けたことでより活動が活発になって行われたことであった。

同時にヨハネ・パウロ2世の教皇時代には、ラテンアメリカの司祭に対する「解放の神学」との闘いにおいて、バチカンの秘密諜報機関は非常に活発に活動していた。

 

「解放の神学」は第2バチカン公会議(1962年~65年)以降ラテンアメリカで活発になった、疎外された者の復権を基本理念としてキリスト教を再解釈し、差別構造に挑戦する信仰の一潮流を、ペルーのドミニコ会の司祭グスタボ・グティエレスがそう呼んだものである。

起源は1950年から1960年代、ラテンアメリカで軍事独裁政権や多国籍企業による収奪が行われ、隷属させられたスラムや農村に入って民衆の貧困や抑圧とともにした聖職者の思想や実践にあるが、その歴史的な起源はラテンアメリカの植民地時代にある。

つまりラテンアメリカの植民地時代のもっとも初期、16世紀ころのキリスト教伝道師や宣教師たちの活動である。

ヨーロッパ人に前代未聞の驚愕をもたらしたアメリカの「発見」により、いかに自国の利益と結びつけられるかを考えたスペインに、ローマ教皇は、「発見」された土地の住民をキリスト教徒に改宗させればその土地の統治権を与えるとした。

その中で「全人類のキリスト教化」に積極的に乗り出したスペインによる「新大陸経営」は、金銀の鉱山開発がおもで、ラテンアメリカでの鉱脈採掘のための強制労働を強いられた先住民インディオは、大量の奴隷として消費された。

 

解放の神学者たちは、そういったスペイン人に征服された先住民や黒人やメスティソ(先住民と白人の混血)など、当時の社会での被抑圧者の人権を信仰に基づいて擁護することにつとめて被抑圧者に対する教会の扱い方に疑問を投げかけ異議を唱えた。

教会とはべつな「キリスト教基礎共同体」における活動を実践の場とし、“この世”の政治的抑圧、経済的貧困を共通の課題としながら、その現実からの“解放”を具体的に模索した。

グティエレスは、「キリストは終末論的約束を霊的なものとはしない。キリストにおける約束は、地上の現実を見下し、排除するのではなく、それを変革するのである」と、キリストをこの世における解放者であるとした。

また、「もし、この希望が、歴史的実践を前進させるべく、現在においてかたちづくられないなら、希望は、単なる逃避、未来の幻想にすぎない」と、終末論を気休めではなく歴史的実践とした人である。

解放の神学者は、貧困や抑圧などを生み出す社会構造が「罪の状態」であると見なし、そのような罪の社会的次元を考察するための方法論としてマルクス主義の方法論を用いた。

社会科学を用いなければ、聖書の諸概念を現代の状況に適応させることは困難であるとしてマルクス主義への接近を批判したバチカンの、解放の神学者たちへの対応に活発に活動したのがバチカンの秘密諜報組織であった。

 

教皇フランシスコとG・グティエレス

 

軍事政権による国家テロ「汚い戦争」

第二次大戦後、ラテンアメリカ諸国は、多くの国で曲がりなりにも民主主義が機能していたが、1960年代から、突如として次々と権威主義的軍事独裁政権が誕生し始めた。

1976年3月、50年代のアルゼンチンにおいてポピュリズム政権で国民的な人気があったフアン・ペロンから大統領を継承した妻イサベル・ペロン政権をクーデターで倒した軍は、陸・海・空三軍による軍事評議会を樹立、J・R・ビデラ陸軍総司令官を大統領に選出し、官僚的権威主義体制を敷いた。

ビデラ政権は「国家再組織プロセス」を政権目標に掲げ、ペロン政権の大衆動員型の政治から一転、熾烈な弾圧に転じた。

「国家再組織プロセス」は、アルゼンチンが第三次世界大戦の先陣を切るための戦場と化しているとの認識のもとに、キリスト教文明と国家安全保障を脅かす左翼勢力撲滅のために戦うという、強烈な反共産主義政策であった。

軍事政権が弾圧の対象にしたのは都市ゲリラばかりではなく、労働者、学生、知識人、弁護士からユダヤ人(ユダヤ教徒)、キリスト教聖職者などに及んだ。一般市民が突然誘拐され、秘密集収容所で拷問を受けて処刑された。

 

1981年12月、この「汚い戦争」を指導したひとりであるレオポルド・ガルチェリは、大統領に就任するとこうした状況から国民の目を逸らせるために、領有問題でイギリスと対立していたアルゼンチン南部沖のマルビナス諸島(フォークランド諸島)へ侵攻した。

しかし、イギリスのサッチャー政権にマルビナス諸島を奪還されると、本来国民を守るべき軍の失態をアルゼンチンの人びとが許さなかった。

ガリチェリの後任として大統領に就任したレイネルド・ベニト・ビニョーネは、1983年4月、「最終報告」という文書を発表した。

しかしそれは、軍事政権が行った虐殺や人権侵害を正当化する目的で作成されたものであり、同時にアルゼンチン国民に対してキリスト教的精神による和解を求めるものであった。

なにより衝撃を与えたのは、すべての行方不明者がおそらく死んでいるという報告であった。

エグゾセ

 

虐殺のサイレントパートナー・バチカン

1983年12月10日、民政に移管するための選挙でラウル・アルフォンシンが大統領に選出されると、就任後間もなく、「失踪者に関する国家委員会」を設立した。

9か月後に完成した報告書『二度と再び』では、貧しい人々を支援した人権侵害を非難した聖職者たちが「汚い戦争」の犠牲になったと指摘し、教会が「汚い戦争」を傍観、あるいはこれに加担し、事実上軍事政権のサイレント・パートナーであったと批判した。

当時、アルゼンチンではカトリックが事実上の国家宗教であった。

1816年の建国以来、政府がカトリック教会を保護することが憲法に規定されており、大統領候補者はカトリック信徒でなければならないという条項が1992年まで存在していた。

そのためアルゼンチンでは、カトリック教会が政府と密接な関係を保持しながら事実上の国家宗教として社会において絶大な権力を握ってきた。

軍や警察による一般市民の誘拐や逮捕、拷問が日常的に行われる中、人々は身近な司祭や司教に助けを求めたが、司教団は軍政による人権侵害の事実を認めようとしなかった。

 

報告書では、一般市民の行方不明者は8961名と報告された(「五月広場の母たちの会」の報告によると行方不明は3万人ともいわれている)。

ビニョーネ政権下での報告書でも、すべての行方不明者がおそらく死んでいるという報告であったのは、行方不明者の多くは「死の飛行」という、麻薬を投与され朦朧状態にされた上で飛行機に乗せられ、ラプラタ河上空から投げ捨てられたため、死体もあがらないのだった。

さらにカトリック教会にいたっては、クーデター前夜、司教団のトップであるトルトロ大司教が蜂起主導者であるビデラ将軍と密会し、きたる軍事政権への支持を約束していた。

フォークランド戦争で軍事政権が使用した武器は、“神の銀行家”ロベルト・カルヴィが密売したものであり、その裏にはバチカンの秘密諜報機関とCIAの存在があった。

死者あるいは行方不明者3万人をだした「汚い戦争」は、実行部隊としての軍事政権と、それを支持するカトリック教会でもたらされたものであったし、解放の神学者が抗い再解釈をすすめたキリスト教とは、遡ると16世紀以降のバチカンの非公式な歴史的伝統がもたらしたものだった。

イエズス会の総長アドルフォ・ニコラスとイエズス会士教皇フランシスコ

 

今日でもバチカンは、この秘密諜報組織の存在を否定しており、公式にはバチカンには諜報機関はないことになっている。

なぜならローマ教皇は聖霊による無謬性によって正式には誤り得ないからであるし、誤謬すなわち神聖でないものは、すべて非公式すなわち秘密だからである。

 

 

■参考資料

“La Santa Alianza o La Entidad”……..En el Vaticano lo que no es sagrado… es secreto.

The Strange Death of Roberto Calvi – God’s Banker – and Pope John Paul I

En nombre de Dios

Eric Frattini『LA SANTA ALIANZA. CINCO SIGLOS DE ESPIONAJE VATICANO』、2006年

伊香祝子『軍政下アルゼンチン民衆文化への検閲:メルセデス・ソーサ「自分の土地のためのセレナーデ」(1979)を一例として』慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2017年

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