05.21
正直であれ
緊急事態宣言は解除されたけれど、図書館は蔵書点検のため相変わらず休館している。
読みたい新しい本が手元になく、雨の日は気も晴れないので、もう何度も観た映画をまた観る。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『鑑定士と顔のない依頼人』。
自身がオークショニアを務める競売で、狙いを定めた美術品の真価を公表せずに価格を操作する主人公ヴァージルは、病的なまでに厳格な性格であるが、落札者を装った画家崩れの友人ビリーと組んで狙った作品を安値で落札し、秘蔵コレクションを増やしている。
姿を見せないまま気まぐれな言動を重ねる資産家の依頼人クレアにヴァージルは苛立つが、屋敷の地下でふいに発見した金属部品は、美術品の修復士ロバートに調査させたところ、18世紀の発明家ヴォーカンソンの希少な機械人形のものであることが判明する。
屋敷で都度発見する部品を集めながら募らせるクレアへの恋心と、恋多きロバートの歯に衣着せぬ恋愛指南を受けながら進む機械人形の修復、ふたつの歯車が奇妙に絡んで動きだす。
美術には詳しくないけれど、古くて美しいものを見ると安心する。
物語の舞台となっている、いかにも荒涼とした18世紀の石造りの屋敷は、行ったことはないのに匂いを思いだせる気がする。
手袋なしには他人の物に触れられないほど潔癖症で、人嫌いな当代一流の西洋古美術鑑定士のヴァージルが、自宅の巨大な金庫さながらの部屋に美術館垂涎の的となるようなコレクションを隠していることや、自立はしていて物書きをしているという資産家令嬢クレアが、広場恐怖症による極度の不安に襲われて、人前どころか自身の屋敷の庭にさえ降りることができないというのは、物語の中の風変わりな人たちのことなのに、知っているだれかのことのような気がする。
映像や音楽がそうさせているのなら、やはり映像や音楽を作れる人はすごいなと思う。
まったく知らない世界なのに懐かしい感じのするこの作品には、まったく知らない美術品がたくさん登場する。
美術品には真作と贋作があり、ヴァージルによってそれぞれそう鑑定されるが、中にはヴァージルが自身のコレクションとして手に入れたいがために、わざと真作を贋作と鑑定しているものもある。
そして実在する絵画と並んで、実在しない絵画も登場する。
物語の転機となるシーンに登場するウンベルト・ヴェルーダの『Sii onesta』は、作中では「本物」と鑑定されているが、作中で絵画の右下に描かれていた機械部品は、実存する作品には描かれていない。
この真作と贋作、実在と架空の奇妙な混在によって、「どんな贋作にも必ずどこかに真実が秘められている」というヴァージルのことばが真実味を帯びる。
ウンベルト・ヴェルーダ『Sii onesta』
贋作を理解し、ある意味で真作と同じように贋作を愛好する必要があるとヴァージルはいう。
それは、「他人の作品を写しながら、贋作者はその内に自分自身の何かを投入するという誘惑に抵抗できないから」で、「しばしばそれは誰の興味も引かない無意味な細部、些細な一筆にすぎない。けれどもそこに贋作者は、まさにおのれの真実の表現を、うっかりと漏らしてしまうから」なのだという。
物語の最後、彼は、自身の存在を一撃の下に打ち砕く出来事に出くわす。
どんな贋作にも必ずどこかに真実が秘められている、という、いわば贋作の専門家のこの信念は、真っ逆さまに転落した泥沼のように麻痺した精神状態から抜けだす、唯一すがれる「真実」となる。
そうしてもはや手袋もはめず、白髪もそのままに、さほど身なりにもかまわない要するにだれでもない一人の男となったヴァージルは、願望と現実の区別をすることもなく、自身の前から消えた人を待ちはじめる。
どんな贋作にも必ずどこか真実が秘められている。
その真実を真実だとするためには、作品そのものは贋作であると知っていることが必要で、自身の本物と偽物の区別を問い直す機会は、だれかのいう本物を鵜呑みにしているままではけっして得られない。
一度なにかを信じたのなら、あとは疑いをもたずにのめりこんだほうがたしかに楽だ。
でもそれは、思考の放棄であり、人間でいることの放棄である。
嘘は、嘘をつかれたそのことよりも、信じた人が嘘を正当化できる人だったと知ることの方が辛い。
そんな人に自分は騙されていたと認めることも、ひどく苦しい。
その辛く苦しい思いを避けようとして、正直にならず、相手や自分をかばうのが欺瞞であるが、自分を騙したままの人は、他人を騙すことを悪びれないから質が悪い。
嘘の正当化を悪びれない人物が、いのちにかかる決め事をしているなら、多くの人が、いま自身の本物と偽物の区別を問い直すことが求められている。
■参考書籍等
ジェフリーラッシュ・ジムスタージェス出演、ジュゼッペトルナトーレ監督『鑑定士と顔のない依頼人』[DVD]ギャガ、2020年
ジュゼッペトルナトーレ著、柱本元彦翻訳『鑑定士と顔のない依頼人』人文書院、2013年
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