2020
05.26

『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』と猿の脳味噌

BOOKS

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ここのところ、「『そして安倍晋三は終わった』無料キャンペーンのお知らせ」が表示されることが増えたが、無料キャンペーンは終わっているにもかかわらず、いまになってこの記事が読まれているのは、おそらくSNS上で、安倍政権の終焉を望む人たちが、書名に似たことばをつぶやくことが増えているからだと思う。

 

『そして安倍晋三は終わった-「天命を受けた世界の中心」を自称し暴走する中国と一党独裁安倍政権の危険な類似点-』のあとがきでも書いている通り、たとえ安倍晋三が首相でなくなっても、安倍晋三のつぎに首相になる人、あるいは背後で首相に影響を与える人が、中国共産党のような考えに基づいて日本の大事なことを決めていくのでは、安倍政権が終わることにはなんの意味もない。

善良な心と悪辣な心の持ち主が一緒にいると、支配力をもつのはどうしたって悪辣な心の持ち主で、中華思想に代表される、日本人の想像をはるかに超える中国人の他罰的な優越主義を理解しないことには、平和を愛し争いを得意としない日本人は、このままではいずれ中国人のペットになりかねない。

そして安倍晋三は、首相という地位を最大限に活用し、かつ意図的な愚鈍を以て、日本人が中国人のペットになるように事を推し進めてきたように見える。

 

安倍晋三が首相でいた長いあいだに、日本人を中国人のペットにさせるような、中国共産党的思想と支配方法をとる権力者や一般人が日本には増えた。

これから、あたらしい首相を選ぶときだけでなく、だれかと仕事をしたり、なんらかの教えを請うたり、自身の人生に大きな影響を与えるだれかと接するとき、相手の人間が中国共産党的要素をもっているか否かを見抜くちからが、その後の人生を大きく左右することになるだろう。

台湾は、武漢発の新型コロナウィルスの対応で、中国共産党の本質を知り、中国のいうことを信用しないという方法で自国民を守ったが、台湾の医師・林建良氏は『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』で中国の実態について語っている。

 

中国人の生死観というのは、実に簡単で「死なないようにする」、これだけである。中国人は非常に世俗的で現実的、実利的な民族である。ほかの民族と比べても、そのような傾向は顕著である。だから、中国人は宗教心あるいは深い信仰心は持ち合わせていない。

もちろん、中国にも宗教はある。中国生まれの宗教としては道教がある。しかし、道教の一番深い思想は「不老不死」、すなわち、「死なないようにする、年をとらないようにするという神仙思想で、修行して仙人のようになるというのが道教の根本思想なのである。

また、中国の宗教というのは民間信仰が中心で、関羽や媽祖を祀る廟がある。媽祖は航海や漁業の神様であるが、これらの神様は現世利益を得るための対策で、願いが叶えば生贄を献上して感謝を捧げ、叶わなければ破壊することにもなる。

しかし、中国のこのような信仰には利益はあっても、善、美、絶対という概念はそんざいしていない。願いが叶えばそれでよしとして、生贄を献上したり献金をしたりする対象でしかない。つまり、取り引きなのである。中国人の宗教とは霊のレベルまでであって、絶対や至上という「神」という観念はない。キリスト教やイスラム教、あるいは仏教のように絶対に犯してはいけないタブーというものはない。

中国共産党がしはいするようになってからは、宗教は人民の阿片だとして、あらゆるお寺や廟を破壊しつくした。しかし、この破壊活動を共産党だからやったと解釈する向きもあるようだが、その解釈は一面的で、しかも現実とかけ離れている。中国人はそもそも信仰心のない民族である。だから、死後の世界や永遠の命ということを信じていない。それゆえ、現世に禍をもたらすのが寺廟だと言われれば、平気で壊してしまうのである。

(中略)

その昔、始皇帝は三〇〇〇人の男と女を派遣して不老不死の仙薬を求めたという伝説がある。彼らが向かった東の島「蓬莱」は日本だという説もあるようだが、この伝説にもあるように、中国人は死ということを頭では理解していても、心のなかでは理解したくないのである。というより、死を避けている民族なのである。それゆえ、権力や富に対して執着心がつよい。そのため、人を蹴落としてのし上がるとか、借りたお金をなかなか返さないとか、日本人なら良心がとがめる事柄についても、平気でおこなえる民族なのである。

中国人はいかにして死ぬかを考えない民族であるから、美しく死ぬとか立派に死ぬとかは眼中になく、ここが日本人と大きく違うのである。中国人を理解するためには、まずその生死観から知らなければならなのである。(p.102-105)

 

生きるということと、死なないということは、まったく違う。

日本人はよりよく生きることを目指し、中国人はなにがあっても死なないことをよしとする。

たしかに人生死んだらおしまいだが、この中国人の不老不死への執着が、中国式「医食同源」を生みだした。

中華料理はおいしいし、人間は食べるものでできている、というのも理解ができる。

しかし、中国式「医食同源」は、日本人が想像する栄養学的な観点からのそれをはるかに超えている。

 

中国の漢方医学でもっとも権威ある書物は、明代に編纂された『本草鋼目』で、薬物として役に立つ動植物や鉱物を、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部、と並べている。

そしてその最後に「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っている。

手に入るものはなんでも使って人の病気を治す、ということがゆきすぎて、病気になる前からそれを食べて予防とする、つまり、中国の漢方医学的には、「肝臓を食べると肝臓に効く」「心臓を食べると心臓にいい」「脳を食べると脳にいい」という考え方が厳然としてあるのである。

 

中国の市場をのぞいたことのある人はおわかりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」(ゴウベン)だ。犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっとも効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」(フーベン)である。犬よりも虎が強いという発想からだ。

このような考え方に立てば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよく、また新鮮なものほどよいとされている。たとえば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、生きた猿を、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に縛りつけ。頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。

(中略)

では、究極的な「医食同源」とはどういうものかといえば、読者の方はもうおわかりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児さえ食べるのである。

このように、中国人は体によいという理由だけで、大自然にあるもの、命あるものすべてを食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下で一つの哲学が形成され、医学や化学よりも中国人の哲学として大事にされてきた。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。(p.18-19)

 

2005年、イギリス紙「ガーディアン」は、中国の化粧品会社が、処刑された死刑囚の皮膚を利用した化粧品を開発して香港経由で欧米に向けて輸出しており、また堕胎された胎児の組織からコラーゲンを製造する研究も進めていると報じたが、中国は、処刑される死刑囚の数が他の国の合計よりも多く、全世界の合計の9割強を占めるという。

それは、死刑囚の人体は役人の収入源だからであり、商品としての死体をもとに行われる臓器売買が、政府と人民解放軍による新興ビジネスとなっているからである。

究極の「医食同源」を信じて猿の脳味噌まで食べ、死体が商品となる中国の、思想の源となっている儒教は食人を否定しない。

そして儒教が源になっている中華思想は、世界を「華」と「夷」二分する。

中華にとって「夷」は動物、つまり食べ物に等しいということだ。

 

同じ人間の形をし、日本人とおなじ黄色人種で、めりはりに欠ける顔立ちをした人が多いが、それでもおなじ東洋人。

そう思っていても、自身が生きながらえるために他人のいのちを奪うことをなんとも思わないなど、もはや話せばわかるという次元の相手ではない。

日本人が絶対に失えないと思っている美意識や良心とは根本的・決定的に違うなにかをその中心に据え置いているのが中国人であり、ほとんど人間ではないように思える、けっして一緒に生きていかれない、もはやなにかべつな生きものだ。

 

■参考図書

林建良『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』並木書房、2006年

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