12.05
「時間泥棒」とペトロダラー 8 ― アメリカ、ユーロに怯えてサダム・フセインを工作員認定 ―
「時間泥棒」とペトロダラー 1 - SWIFTの原型をつくったイタリア商人 -
「時間泥棒」とペトロダラー 2 - 「神の代理人」が意味するもの -
「時間泥棒」とペトロダラー 3 - 「神の銀行」か「バチカン株式会社」か -
「時間泥棒」とペトロダラー 4 - バチカンの秘密諜報機関と「汚い戦争」 -
「時間泥棒」とペトロダラー 5 - 収奪を合法化して支配するアングロ・サクソン -
「時間泥棒」とペトロダラー 6 ― 植民地という「千年王国」と変質する「明白な天命」―
「時間泥棒」とペトロダラー 7 ― 世界恐慌の原因となった紙マネー ―の続きです。
紙マネーを根拠に紙マネーを創りだす錬金術で、貴族や議会など為政者にだけ都合のいいように法律を整備し、利権を邪魔する者を攻撃して国民にたかってきたアングロ・サクソン。
侵略も収奪も「天命」と正当化され、根拠も中身もないものを価値ある絶対であるかのように思わせて私財を投じさせるこのビジネスは、「神の代理人」や王権神授説が採用された国で誕生し、それを信じて疑わない人びとによって持続してきた。
そうして発展してきた資本主義社会で、通貨の異なる世界の資本主義をつなぐ役割を果たしているのが米ドルである。
国際基軸通貨ドル
基軸通貨とは、国際間の決済に広く用いられる通貨のことである。
国際通貨の中で中心的・支配的な役割を占め、為替や国際金融取引で基準として採用されている通貨のことである。
歴史的な経済体制の変遷の中で、金融市場につよい影響を与えたのが1944年ブレトンウッズ協定によって成立した「ブレトンウッズ体制」である。
これによって米ドルは、世界各国の通貨の為替レートの基準に採用されることになった。
1816年以来、金本位制に移行し、貿易代金の支払いとしての金が大英帝国に世界中から流れ込んで帝国の繁栄を支えた。
その大英帝国に陰りが見えたのは、1914年、第一次世界大戦だった。
綿織物などの軽工業が中心に発展したイギリスに対し、アメリカやドイツは重化学工業を発展し、イギリスは工業生産でそれらに追い抜かれた。
第一次世界大戦で戦場にならなかったアメリカは、軍需物資を大量生産してヨーロッパの交戦国に輸出して莫大な利益を上げていた。
そのうえ、財政難に陥った各国政府が軍事作戦や、そのほかの支出の資金を調達のために発効した戦時国債を引き受けて債権国になった。
戦後、戦時国債の償還を迫られたイギリスを含むヨーロッパ諸国の、その支払いはむろん金であり、ロンドンの金融街シティの金庫から引き出された金塊はニューヨークのウォール街へと流れ込んだ。
第二次大戦終了時、アメリカの資本主義世界における地位は1815年以後のイギリスの地位と同様に圧倒的なものになったと言われている。
世界の覇権は世界経済の5割まで達していたアメリカに移り、こうして米ドルは「世界の中心」国際基軸通貨となった。
1971年、当時のアメリカ大統領ニクソンは一方的に金と米ドルの交換停止を宣言し、アメリカは金とドルの交換を停止して変動相場制に移行した。
ニクソン・ショックを受けて金との兌換性を失った米ドルだったが、米ドルを国際基軸通貨として維持するためにアメリカは、サウジアラビアに対して原油価格の引き上げを認める一方、あらゆる国が必要とする石油をドルのみで取引する体制を構築した。
アメリカは米ドル札を印刷するだけで石油を輸入することができ、世界の石油輸入国は石油を買うために、まず米ドルを調達する必要が出てくる体制を構築したのだった。
アメリカ以外の国が米ドルを調達する方法は、アメリカ国内で財・サービスの対価として獲得するか、為替相場で自国の通貨を売って米ドルを購入するかのどちらかである。
石油を買うための資金としての米ドルは、実際に石油の購入資金にあてるか、米ドルが流通する唯一の市場つまりアメリカ国内への投資にあてられるかのどちらかである。
アメリカ以外で産出される石油が米ドルで取引され、その米ドルは米ドル市場でのみ循環する。
冷戦後にソ連が消滅した一方、アメリカは冷戦後も唯一の覇権国としての地位を維持し超大国となった。
アメリカが、数兆ドルの対外債務と継続的な多額の赤字支出にもかかわらず、依然として債務を支払う能力に対する世界的な信用と信頼を維持しているのは、圧倒的な軍事力とそれを支える経済力に加え、この人為的に計画されたこの石油通貨「ペトロダラー」体制によって支えられているからだ。
どの国の通貨も、理論的には世界の通貨としてドルに取って代わる可能性がある。にもかかわらず、ドルが世界の通貨として君臨しつづけられるのは、ドルが「石油交換券」であることが決定的に大きい。
ならず者の、ならず者による、ならず者のための聖なる戦争
軍産複合体とは、戦争から経済的利益を得る政治的・経済的集団、戦争に迎合する産業にかかわっている集団のことである。
アイゼンハワーが退任演説で「民主主義への脅威」になっていると警告を発したように、とりわけアメリカにおける国防総省(ペンタゴン)を中心とする軍部と巨大な軍需産業群との癒着した関係や相互依存体制のさす単語である。
第二次世界大戦で「民主主義の兵器庫」と呼ばれたアメリカは、戦後すぐに始まった冷戦と1950年から1953年の朝鮮戦争を経て、今度は「世界の警察官」として同盟国に軍事基地と兵力を駐屯させ、積極的に武器供与を行った。
冷戦終結までのアメリカが費やした合計6兆ドル近くの核兵器関連予算は、教育などの非軍事7分野の予算合計よりも多かったと言われている。
そのアメリカ軍に陰りが見えたのは、1960年から1975年のベトナム戦争だった。
ベトナム戦争は戦争の規模としては第一次世界大戦や第二次世界大戦に劣るとはいえ、動員兵力、死傷者数、航空機の損失、使用弾薬量、戦費では第一次大戦のそれを上回った。
使用弾薬量、投下爆弾量では第二次大戦のそれをはるかに超えた史上最大の破壊戦争であった。
アメリカはベトナム戦争を戦うために延べ260万の兵力を派遣し、南ベトナム駐留の米軍は最高時には54万9500人に達した。
戦争の犠牲者はアメリカ陣営が推定22万5000人(アメリカ軍の戦死者は5万7939人)、負傷者は推定75万2000人だった
強国アメリカが初めて他国に敗北した戦争であったベトナム戦争では、敵を炙り出すために使用されたエージェント・オレンジ(枯葉剤)で、アメリカ兵も被害を受けた。
戦争敗北して低下した威信を回復するために、1980年代のレーガン政権は「強いアメリカ」の復活を掲げ、軍事費を増やしてソ連と軍拡競争を行った。
1991年、アメリカはクウェートに侵攻したイラクを討つため、湾岸戦争が勃発し、アメリカのハイテク兵器の圧倒的な攻撃力でイラク軍を撃破した。
2001年、9.11によるアメリカ同時多発テロ事件を受け、ブッシュ政権は対テロ戦争を宣言すると、アルカイダ首謀者とされたオサマ・ビンラディンの引き渡しを迫ってアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権を打倒した。
2003年、米軍主体の「有志連合」軍がイラクに侵攻し、サダム・フセイン政権を打倒した。
2011年、アメリカ同時多発テロ事件を起こしたアルカイダの首謀者であるオサマ・ビンラディンの殺害に成功し、歴史的な区切りを迎えたとされる。
2021年には、アメリカは20年続いたアフガニスタンでの戦争から撤退し、アフガニスタンにはタリバン政権が復活した。
南ベトナムの密林に枯葉剤エージェント・オレンジを散布する米空軍機、1966年撮影
ブッシュ政権と軍産複合体企業
まるで戦争以外の方法が思い浮かばないように見えたブッシュ大統領。
なぜなら彼は、歴代のいかなる政府よりも軍需産業と密接な関係をもった大統領であった。
2000年大統領選挙戦で、アメリカの兵器メーカーがブッシュ陣営に献金した政治資金は19万ドルであり、それは、大統領選を争っていたゴア陣営に対する献金額の4倍以上であった。
ロッキード・マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマンというビッグ3の軍需産業が2000年の選挙で行った献金額は470万ドル以上であり、これは、国防・航空宇宙産業の献金額の約30%割に相当し、ほか軍需産業もブッシュ政権やイラク攻撃に賛同するような議員に政治献金を行っていた。
ブッシュ父子とカーライル・グループ
ブッシュ父子に最も近い投資グループに、カーライル・グループがある。
カーライル・グループは、ブッシュ父の盟友で同政権の国務長官だったジェームズ・ベーカーがパートナーとなり、ブッシュ父自身も顧問となった。
カーライル・グループは、オサマ・ビンラディンを家計の一員とするビンラディン一族にも投資を行っていた。
さらにカーライル・グループなどの投資グループは、旧政府高官を雇っていた。
ブッシュ父の場合は長男が現役の大統領であり、ブッシュ父が大統領であった1990年にケータエアー社を買収したが、その際はブッシュ大統領を取締役として送り込み、「現職大統領の家族を雇う」という先例を作った。
カーライル・グループの投資先企業は、イラク戦争やアフガニスタン戦争でブッシュ政権に武器を売却することで資産を太らせた。
チェイニー副大統領とハリーバートン社
ブッシュ政権下でイラク攻撃をもっとも熱心に説いたのはチェイニー副大統領で、彼はブッシュ政権の中で民間企業との関係が深く、その関係が疑問視されていた。
彼はブッシュ(父)政権後、1995年にハリーバートン社の会長兼CEOに就任し、ブッシュ選挙対策チームに参加する2000年まで務めていた。
ビジネス経験がほとんどないチェイニーが突然CEOとして引き抜かれたのは、「世界を渡り歩く政界工作顧問」としての役割に期待されたからであった。
チェイニーは、湾岸戦争の際の国防長官であり、サウジアラビアや中東諸島の王室などと懇意になったことが、のちのハリーバートン社の業務に結びついた。
イラク復興事業に関しても入札なしで石油関連案件を受注するなど、「垂涎の的」イラク復興事業において、ハリーバートン社の競合相手はいなかった。
他
リチャード・アーミテージ(国務副長官):元レイセオン(軍需大手)役員、ゼネラルエレクトリック株主
マイケル・ウィーン(国防総省次官):元ゼネラル・ダイナミックス、マーティン・マリエッタ(軍需)社員
ポール・ウォルフォウィッツ(国防副長官):元ノースロップ・グラマンのコンサルタント、BPアモコ(石油)コンサルタント
シーン・オキーフ(航空宇宙局=NASA長官):元レイセオン戦略顧問、ノースロップ・グラマン・インテグレーテッド・システムズ顧問
ポール・オニール(財務長官):前歴にアルコア社(アルミの世界最大手)会長、インターナショナル・ペーパー社社長、イーストマン・コダック社とルーセント・テクノロジー社の役員
セオドア・オルソン(司法次官):ヒューズ・エレクトロニクスなどのコンサルタント
オットー・ライヒ(国務長官補佐):元ロッキード・マーチン有給ロビイスト、F-16戦闘機の販売促進に尽力
ドナルド・ラムズフェルド(国防長官):前歴にG.D.サール(製薬大手、現ファーマシア社)社長、ケロッグ社(食品)、ジレッド・サイエンス社(バイオテノロジー)、トリビューン社(シカゴ・トリビューンとロサンゼルス・タイムズ)役員、アセア・ブラウン・ボベリ(原子力)取締役。ガルフストリーム・エアロスペース(特殊任務軍用機、ゼネラル・ダイナミックス子会社)取締役
ルイス・リビー(副大統領スタッフチーフ):元ノースロップ・グラマン(軍需大手)コンサルタント
戦争以外に手段が思い浮かばないアメリカ
製造業が弱いアメリカでは、景気がよくなると輸入が増えて経常収支の赤字が増える。
クリントン政権で改善した財政は、ブッシュJr.政権では大型減税とイラク戦費で赤字に転落し、ニクソン・ショックで金の裏付もなく信用もなくなってきたドルに対して暴落の不安が広がった。
1990年代はドルに代わる国際通貨もなく好景気のアメリカで大きな問題にならなかったが、1999年1月1日、事態は転換期を迎える。
EU加盟国のうち11か国において単一通貨「ユーロ」が誕生したのである。
ドルに対抗する国際通貨の登場により、ドル暴落の不安を感じた中国などが外貨準備の一部をドルからユーロに変えた。
決定的だったのは、イラクのサダム・フセインが石油代金をドル建てからユーロ建てに変えたことで、それを国連が認め、サウジアラビアなどがそれに追随した。
中東で石油の支払いにユーロが使われることを防ごうとしたアメリアは、軍事力を使ってでもドル体制を維持しようとした。
アメリカのイラク侵攻とサダム・フセイン打倒は「石油通貨」をかけたアメリカの脅迫だったのである。
とりわけ対テロ戦争を宣言したブッシュ政権では、政権が石油支配や軍備増強に勤しんだ。
が、それは、軍需産業のトップたちが相次いで政府高官に登用され、それら政治家たちが、戦後の復興事業までも含む軍需産業に都合のよい政策を打ち出したからであった。
1980年の侵攻開始から1988年まで長期戦が展開されたイラン・イラク戦争では、イラクは大量破壊兵器の保有を非難されてのちにアメリカから攻撃を受けた。
当時、イラクには大量破壊兵器があると主張していたアメリカは、フセインが何十万本も(あるいは何百万本も)伐採し、それはイラク政府がその地域で化学物質を使用またはテストしている結果だと匂わせて、フセインがいかに悪者であるかを宣伝した。
大量のナツメヤシを枯らすには化学物質の散布しかなかったが、しかしそれは当時、飛行禁止区域を飛行できなかったイラク政府には不可能なことであった。
フセインが極悪非道な独裁者である情報は、さまざまなかたちで広まりアメリカのイラク攻撃を後押ししたことだった。
が、ベトナム戦争のエージェント・オレンジよろしく、イラクの大量破壊兵器開発には、ほかならぬアメリカが協力していた。
「世界の警察」アメリカが「世界の平和」のために「差し迫った恐怖」であるイラクに対して行った「対テロ戦争」は、アメリカの軍備を再び拡大するための好都合な口実となった。
湾岸戦争以前の10年間、世界の兵器輸出の総額は6458億ドルだったが、そのうち4885億ドルは発展途上国によって購入された。
NATOとワルシャワ条約機構加盟国は、世界の武器輸出の90%を構成していた。
誕生した新・介入主義のイデオロギーは、中国共産党の世界への浸透工作を後押しした。
なにより、「石油引換券」ペトロダラーの地位を守った。
■参考資料
角間隆『ブッシュ発世界同時恐慌 日本を道連れにするアメリカ経済「腐敗の構図」』徳間書店、2002年
エマニュエル・リュド著・石川憲二訳『依頼人はサダム・フセイン』ペんぎん書房、2005年
菅英輝『アメリカの世界戦略-戦争はどう利用されるか』中央公論新社、2008年
宮田律『軍産複合体のアメリカ~戦争をやめられない理由』青灯社、2006年
Center for Responsive Politics
Did Agent Orange Poison US Military As It Did Vietnamese? Yes
https://twitter.com/ranranran_ran/status/1566080174244114432?s=46&t=ADV1EOWVodPRiSFsJN0Bmg
野崎久和「アメリカとイラク戦争(1) : 米国が戦争に向かった背景:ブッシュ政権の特質と米国の変化」北海学園大学学園論集、2004年
小河浩、田上敦士、澤田大吾、風呂本武典、金子春生「近現代シリーズ―軍産複合体とアメリカの政策―」広島商船高等専門学校紀要、2022年
小山堅「イラク石油輸出停止:国連経済制裁への揺さぶりをかけるイラク」国際エネルギー動向分析、2000年
イラク:原油決済通貨のユーロへの変更, シリア・ヨルダン向けパイプラインの再開等国連経済制裁解除へ向けた動きを活発化
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