中世ヨーロッパでワインづくりを主導した修道院で、ビール造りも盛んになると、ワインは中世ヨーロッパ後期には日常の飲み物として広まりました。‭‬

現在のような娯楽としての飲酒が発展したのはルネサンスの時代以降で、17世紀後半から、醸造技術や保存技術、瓶の製造技術がさらに向上すると、ワインの生産と流通は飛躍的に拡大しました。

 

ルネサンスは14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった文化運動です。

イタリアでルネサンスが開花したのは、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、フェッラーラなどの都市でした。

学芸を愛好し、芸術家たちを育てた支援者(パトロン)は、フィレンツェのメディチ家、ミラノのスフォルツァ家、フェッラーラのエステ家などが有名ですが、15世紀末には教皇の中にもルネサンス教皇と呼ばれる文芸保護に尽力する教皇が出現しました。

ローマではサン・ピエトロ大聖堂などの建設が行われ、多くの芸術家を集めました。

 

フィレンツェの文芸復興のパトロンで有名なメディチ家は、ルネサンス期において銀行家(両替商)・政治家として台頭し、フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族です。

当時の支配者とは、血統が連綿と受け継がれた王侯貴族たちでしたが、メディチ家は「メディチ」が「医師」、「薬」という意味であることから、先祖は薬種問屋か医師であったのではないかとされ、13世紀のフィレンツェ政府の評議会議員の記録に既にメディチの名前が残されているだけで、それ以前の経歴や一族の出自についてはあまり明らかではありません。

メディチ家は本来の皇統、王統の血筋によらず、実力により君主の座を奪取し、身分を超えて僭主となってルネサンス期のイタリアを支配したのです。

 

1855年、パリ万博でボルドーの格付けがなされた際、背後にいたのはロスチャイルド家でした。

風説の流布とインサイダー取引と有名ワイン3

 

ロスチャイルド家は、のちに、サン・ピエトロ大聖堂のあるバチカン銀行を通じカトリックを支配するようになりましたが、そのロスチャイルド家もまた銀行家として台頭しました。

ロスチャイルド家はユダヤ人です。

ユダヤ人は「神(イエス・キリスト)殺しの民族」といわれ続け、先進国のキリスト教徒から嫌われつづけてきました。

ロスチャイルド家が銀行家として台頭したのは、忌み嫌われたユダヤ人に許された職業がごく限られており、聖書で禁じられ軽蔑と非難の対象だった「お金を貸して利子を取る」という行為をロスチャイルド家が職業にしていたからです。

一方のメディチ家は、「両替商」であって「金貸し」ではないため、利子ではなく為替手形による利益を得ており、それゆえユダヤ人ではないといわれています。

為替手形を考案したのはメディチ家だといわれ、2国間の換金レートの違いで利益を得ていたのであって利子による利益を得ていたのではないというのですが、この為替もまた見方によっては高利貸しとおなじではないでしょうか。

 

クレメンス7世(ジュリオ・ディ・メディチ)の家紋

 

また、メディチ家と長年の盟友だったのがボルジア家です。

ボルジア家は、暗殺に用いたとされる毒薬「カンタレッラ」で有名です。

「あの雪のように白く、快いほど甘美な粉薬」と形容されたカンタレッラは、しばしばワインに仕込まれました。

1503年、教皇アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)が没し、その息子チェーザレが重病で床に臥せった原因も、彼らが誤ってカンタレッラを自分たちで服用したためだともいわれています。

教皇父子は、病に伏せる数日前に参加していたコルネート枢機卿宅での宴会にて、参加者に対してカンタレラ入りのワインを飲ませるつもりが、ボーイの不注意で彼ら自身も含む参列者全員に供されてしまったというのです。

ワインは、ルネサンス期に娯楽として飲まれはじめました。

そのルネサンスは、血筋でなく実力で地位を奪取するメディチ家がパトロンとなって始まったものです。

その僭主メディチ家の盟友は毒薬をもっていました。

ルネサンス期にワインが娯楽として飲まれるようになったのは、まるで、メディチ家が敵対勢力を毒殺して王位に君臨しつづけるために、毒を仕込みやすいワインを流行らせたようにも見えます。

 

メディチ家のマリー・ド・メディシスは、フランスのブルボン朝の起源となりました。

フランス革命中、トスカーナ大公国はフランスの手に渡り、ナポレオンによる傀儡国家としてエトルリア王国が成立しました(エトルリアとはトスカーナの古名です)。

王位にはブルボン=パルマ家のルドヴィーコ1世がつき、ナポレオンの妹が大公になったりします。
そのブルボン家からコンティ公とポンパドゥール夫人というワイン狂が誕生し、ナポレオン3世がボルドーワインの格付けをしました。

風説の流布とインサイダー取引と有名ワイン6

 

さかのぼって8世紀、ワイン造りが盛んになる修道院を発展させたカール大帝もカロリング・ルネサンスという古典復興運動を行っています。

新しい理念や独創的な思想・芸術はほとんど生まれなかっといいますが、2度の「ルネサンス」はどちらもワインに通じ、日常にワインが浸透するように働きかけた出来事の背後には、毒薬の一族を盟友にしたメディチ家がいるのです。

このメディチ家は18世紀に断絶します。

ロスチャイルド家が台頭してきたのもまた18世紀後半です。

そしてメディチ家の家訓は、「目立たず人の陰に居て、実権だけを握り、気前よく振る舞え」です。

 

メディチ家が名を消したのと時を同じくして、同じ銀行家でかつワインにふかく関わるロスチャイルド家が台頭してきたのは、はたして偶然なのでしょうか。

 

■主要引用・参考文献・資料
塩野七海『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』新潮文庫