2019
08.15

風説の流布とインサイダー取引と有名ワイン6

ワイン考, 文化・歴史

 

 

ボルドーの5大シャトーと並び、世界最高峰のワインとして知られるのがロマネ・コンティです。

ロマネ・コンティは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ(DRC)社が単独所有する畑とそこからつくられるワインの名前です。

畑はフランスのブルゴーニュ地域圏ヴォーヌ・ロマネ村にあり、ワインはアペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ(AOCヴォーヌ・ロマネ)におけるグラン・クリュ(特級)に格付けされています。

 

ロマネ・コンティの歴史はローマ時代まで遡ります。

かつてをその地域を支配していたローマ人が、村の極上の畑に「ロマネ」という名前をつけました。

10世紀初頭よりサン・ヴィヴァン修道院が所有し、18世紀初頭にはルイ14世が持病の治療薬として毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを処方していたといわれています。

ぶどう畑が競売にかけられることになったとき、当時の国王ルイ15世の軍事顧問で右腕だったコンティ公と、王の寵姫ポンパドゥール婦人とのあいだで所有権をめぐる熾烈な争いがくり広げられ、1760年、正式にコンティ公が所有者と認められたためにコンティ公の名前がつけられてロマネ・コンティとなりました。

その後、フランス革命が起こり、ぶどう畑は国に没収されますが、ロマネ・コンティという名前だけは残りました。

 

フランス革命の裏では、ロスチャイルド家という風説の流布とインサイダー取引を得意とするユダヤ人の一族が動いていました。

風説の流布とインサイダー取引と有名ワイン5

 

事実と真逆の情報を流し、夢を見させて人びとにお金をださせるロスチャイルド家はボルドーの格付けにも関わっていますが、このロスチャイルド家が暗躍したフランス革命で誕生することになったのが「ネゴシアン」です。

ネゴシアンは、地域によって定義が異なるようですが、「酒商」、「仲買人」、「ワイン商」、「交渉人」と訳されます。

ボルドーでは、瓶詰めされたワインを買いつけて流通させたり、既製のワインをブレンドさせて販売したりする、いわゆる「業者」のことをいいます。

ブルゴーニュでは、他人が育てたぶどうでワイン造りをする、畑を持たない生産者のことをいいます。

 

ネゴシアンは、複数のぶどう農家と契約するなどしてビジネス展開をします。

それゆえ不作にも備えることができ、生産者によっては作柄に応じて生産調整をすることで、不作の年でもおおよそ安定した品質でワインを出荷することができます。

ぶどうの栽培者はぶどうやワインをつくることができても、売ることが不得手です。

よい売り物があっても売る能力に欠ける生産者は、ネゴシアンにとっては格好の「ビジネスパートナー」です。

しかし、商売人が主導権を握ると、ものは品質よりも「売れる」ことが優先されます。

ブルゴーニュでも、ネゴシアンの意見でわざと品質をおさえたり、中にはまったくべつなワインをブルゴーニュとして売りだしていたネゴシアンもあったといいます。

この、「品質」と「売れる」の逆転ほど、よいものをつくりたくてものづくりをしている人の力を奪うものはありません。

しかし、ネゴシアンがロスチャイルド家の働きにより力を得た職業であるなら、現在、その目的は大いに果たされています。

なぜなら、彼らのほんとうの目的は、「よいもの」が世に広まらないようにすることなのですから。

 

1855年のパリ万博でボルドー5大シャトーの格付けをしたのも、このネゴシアンです。

当時は市場価格がワインの品質に直結していたといいますが、要は、格をつけ、市場価格をつりあげることで、「そのワインが高品質であることにした」のです。

ロマネ・コンティの畑の取得でコンティ公に競り負けたポンパドゥール夫人は、ヴェルサイユ宮殿からブルゴーニュワインを一掃したといいます。

代わりにボルドーのラフィットを勧められ、大のお気に入りとなり、ヴェルサイユ宮殿の晩餐会では必ず飲むようになったそうですが、そのラフィットをのちにロスチャイルド家が所有し、ボルドー5大シャトーに選ばれたのは偶然ではありません。

 

多くの人がうっとりと「いいワインだ」といっているのは、情報を飲み、情報に酔っているだけのことかもしれません。

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