2020
04.21

始まりはヨーロッパ、重なる中国

エッセイ

1917年、十月革命を成功させたレーニンは、史上初の社会主義国家であるロシア・ソビエト共和国を樹立した。

1918年、ボリシェヴィキによる一党独裁体制を確立させ、「共産党」と名乗り、1919年、第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンを創設した。

現在、世界中でコロナパンデミックに乗じた「敗戦革命」を目論んでいる中国共産党は、1921年、コミンテルンによって創設されたコミンテルン極東支部であるが、史上初の社会主義国家誕生を成功させコミンテルンを創設したマルクス主義者レーニンは、フランス革命(1789~1799年)を見本としていた。

マルクスは、フランス革命期の社会主義者フランソワ・ノエル・バブーフこそ共産主義の先駆者だと称賛している。

 

19世紀、フランスは社会主義のイデオロギーに深く影響されていた。亡くなったバブーフを精神的リーダーとして発足した「追放者同盟」(The League of Outlaws)がパリ中に広がった。1835年、ドイツの仕立て屋だったヴィルヘルム・ヴァイトリング(Wilhelm Weitling)が連盟に加わった。後に、彼のリーダーシップのもと、連盟は「正義者同盟」(The League of the Just)と名前を変えた。

1847年6月、正義者同盟と、マルクスやエンゲルス率いる共産通信連絡委員会(Communist Correspondence Committee)が合併し、共産主義者同盟(Communist League)が設立した。新同盟は、マルクスとエンゲルスをリーダーとした。1848年、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』を出版し、世界の共産主義運動に火をつけた。

フランス革命は、ヨーロッパで長期的に続いた社会動乱のほんの始まりに過ぎなかった。ナポレオン時代が終わり、その後次々と展開した革命や暴動は、スペイン、ギリシャ、ポルトガル、ドイツ、イタリアにまで波及した。1848年までに、革命と戦争はヨーロッパ中に拡散し、共産主義が浸透するのに有利な土壌を形成した。

1864年、マルクスらは「第一インターナショナル」と呼ばれる国際労働者協会(International Workingmen’s Association)を設立し、マルクスは共産主義労働者運動の精神的なリーダーとなった。

この第一インターナショナルの中で、マルクスは厳格な革命グループを育て、彼らに労働者たちを扇動し、暴動を起こさせる役割を与えた。同時に、彼の方針に異を唱える者は組織から除外した。ロシアの無政府主義者ミハイル・バクーニン(Mikhail Bakunin)は、多くの人間を共産主義運動に引き込んだが、マルクスは彼をロシア皇帝のスパイだと弾劾し、組織から追放した。

1871年、第一インターナショナルのフランス支部が最初の共産主義革命を行った。これが、パリ・コミューン(Paris Commune・パリ市の革命自治体)である。(「悪魔が世界を統治している」第二章「始まりはヨーロッパ」より)

 

パリ・コミューンは、共産主義者による革命の特徴に満ちていた。

ナポレオン1世をたたえて建てられたヴァンドーム広場のコラム(円柱)ばらばらにし、教会を破壊し、聖職者を殺害し、宗教の授業を学校で禁じ、暴徒たちは聖人の銅像に現代風の洋服を着せ、パイプを口にひっかけてからかった。

パリ・コミューンが起こると、マルクスはすぐに自分の理論に修正を加え、彼は『共産党宣言』に「労働者階級は国の主権を奪うだけでなく国家のメカニズムを倒し、破壊しなければならない」と書きくわえた。

倒されたコラムの像とポーズをとるコミュニスト(1871年)

 

この国の伝統を破壊するという性質は、しばしば中国の歴史でもみられる。

中国の歴史は天命思想による易姓革命で、王朝の交代には文化の破壊が伴った。

建築物をはじめとした文化的遺産を破壊し、土地を更地にし、人びとに特定の思想を押しつけて考え方を強制した。

強国への事大主義を国是とした李朝は「崇儒廃仏」を国策として進め、徹底的に仏教を弾圧して儒教を唯一絶対として、当時全国に1万以上もあった寺院のほぼすべてを廃寺とした。

中国共産党は、日本で天皇の処刑を目標としているといわれるが、党員・非党員・「デュープス」を使って天皇制が不必要であるという印象操作を行っているのは、中国共産党は天皇制の廃止こそ日本の最大の歴史と伝統の破壊と考えているからである。

 

ナポレオンは1804年、フランス革命で絶対王政を打倒し、自らが皇帝になった。

皇帝となったナポレオンはフランス民法典を制定し、個人主義・自由主義を貫き、所有権の絶対を定めたが、皇帝になるということは、つまりナポレオンが国王になるということに等しかった。

つまりフランス革命とは、絶対王政期のアンシャン・レジーム(旧秩序)に苦しんでいた民衆が主権を得るためではなく、皇帝ナポレオンによる実質的な絶対王政でヨーロッパを統一し共産化する「新秩序」を目指すための革命だったといえる。

そのナポレオンは、中国春秋時代の軍事思想家・孫武の作とされる兵法書『孫子』を愛読し、自らの戦術に活用したともいわれ、愛読の事実は不明とされるが、解放といって侵略し、自国を超えた国々の大統一を目指し、それを阻止しようとする国を懲罰の名のもとにまた侵略するのは、その客観的事実が「天命を受けた世界の中心」を自称して暴走を続ける中国の姿が重なる。

 

ナポレオンは皇帝の座につくも、ヨーロッパ諸国による同盟の抵抗に遭い、戦争に敗れてエルバ島に流刑された。

一度脱出して復活し、「百日天下」をとるも、すぐにまた敗れ、大西洋の孤島・セントヘレナ島に流されて生涯を終えた。

 

■参考図書など

大紀元「悪魔が世界を統治している」第二章「始まりはヨーロッパ」

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