2021
09.09

工藤会総裁への死刑判決と中国共産党の「共同富裕」、天安門広場に現れたブラックスワン

エッセイ, 国際, 国内, 文化・歴史

福岡地裁は8月24日、元漁協組合組長射殺事件と3件の殺人未遂事件の首謀者とされ、組織犯罪処罰法違反の罪に問われていた裁判で、指定暴力団工藤会総裁の野村被告に死刑、No.2の田上被告に無期懲役判決を下した。

 

工藤会は、一般市民へも容赦ない攻撃を加えることからほかの暴力団からも正気の沙汰ではないとみられていたり、一方で、その存在が中国マフィアの侵入を抑えているといわれていたり、警察との関係も複雑な背景があったのだとは思う。

市民感情からするとなくなってほしいと願う迷惑組織でも、社会的に制裁を与えるには法律にしたがわなければならないのが法治国家であり、現在の日本の刑法では、実行従属性の原則にしたがって、みずからが犯罪の実行に着手しなければ共犯は成立しないとされている。

「実際にやった本人」だけが罰せられるのが通例の世界で、犯罪の実行に着手しておらず、現場にもおらず、直接指示した証拠もないために「実際にやったとはいえない」組織のトップが共謀したとして共同正犯が認められるのは異例のことだった。

しかし、「組織内での絶対的地位」が根拠となってトップの責任が問われたという一例は、今後、指定暴力団だけでなくいわゆるカルト団体にも適用できる判断基準となり得るもので、司法が引き続きその判断基準にしたがって判断を下すなら、日本を中国共産党などの侵略から守る有効な一手となるはずだ。

 

中国では、ことしになってから習近平が「共同富裕」というスローガンに言及することが増え、8月17日に行なわれた第10回中国共産党中央財経委員会で打ち出した「三次分配(三度分配)」は、中国の大企業幹部らを狼狽させているという。

「共同富裕」は、貧富の差を是正しすべての人が豊かになるという目標を掲げているが、その実態は、中国の巨大な資産家を当て馬に、諸悪の根源である中国共産党が責任逃れをしてみずからは生き延びようという、まるで暴力団の実行犯と絶対的地位をもつトップのような、ひどくやくざな政策である。

 

中国の資産家は、中国共産党とつるむことで巨大な資産を得ることができた。

中国国内の貧富の格差は中国共産党が作りだしたようなものであり、資本家からより多く徴税し、いったん共産党が集めたうえで再分配するといったところで、富が再分配されるのは共産党内部においてのみであって、それがすなわち一般市民に分配されることになるとは思いがたい。

 

社会における所得分配の平等・不平等を計る指標であるジニ係数は、値は0と1の間をとり、値が0に近ければ所得格差が小さく、1に近いと所得格差は大きいことを示す。

0.3程度が許容範囲、0.4を超えると社会が不安定になり、0.6を超えると極端に不公平といわおり、2016年度のデータでは、世界の新興国の平均は0.462、先進国の平均は0.297、日本は0.339であった。

日本も先進国のなかでは格差が大きい社会であることがわかるが、中国の値は0.7に近いといわれ、それでも中国が国として問題なく機能しているようにみえるのは、中国共産党が暴力によりコントロールしているからだ。

 

暴力を背景に職業として犯罪活動に従事するやくざが集まる暴力団のような共産党が「共同富裕」をいいだした中国では、いま「寄付」が流行っているという。

浙江省を皮切りに、官僚が一日分の給料を封筒に入れて笑顔で寄付していることをアピールし、国営企業の従業員は一日分の給料を、民間企業や中小企業は一日分の利益を寄付するという活動が全国で活発化しているという。

 

寄付は、「当然のことながら強制ではない」とのことだ。

しかし、暴力によるコントロールで成り立っている組織の内部で、上の立場の人間が組織のトップに一日分の給与や利益を寄付することを約束しているのを知りながら、「自分は寄付しません」と言いだせる人がどれだけいるのだろうか。

国内を暴力で支配し、他国をも侵略やジェノサイドという暴力で支配しようとする中国共産党のコントロール下で、トップの目標とすることの成就を遅延させるような、あるいは政策そのものを否定するような非協力的な選択をする「自由意思」が、どれだけ認められるだろうか。

 

組織などでの地位や人間関係などの優位性を利用して、他者に嫌がらせをしたり苦痛を与えたりすることをパワハラという。

中国共産党のような独裁組織においては、内部は華夷秩序による厳格なピラミッド構造で成り立っており、つねに地位の優位性や人間関係によるパワハラが行われている。

パワハラをする人間が「これは強制ではない」といったところで、それは建前であって本音ではなく責任逃れをするための保険であり、本音では、全財産を寄付しやがれこのやろうとさえ思っている。

しかし、パワハラをする人間の「強制ではない」という言葉を真に受けて、ほんとうに寄付を行わなければ、あとから暴力や言葉での侮辱、適正な業務範囲を超えた仕事の強制、逆に仕事を与えないなどの行為で報復される。

その見せしめを幾度となく見せられているために、パワハラの被害者はパワハラをする人間の言葉がすなわち本心ではないと瞬時に考えるよう動機づけられているし、つねに表面的な言葉とは裏腹の本心を探りその本心を満たして「心情が一致」する行動をとることが正解だと学習している。

「みんなで裕福になりましょう」という聞こえはいいが基準が曖昧なその政策は、いままで中国共産党がそうしてきたように最終的な判断はトップである習近平の匙加減で決まる。

そして、その判断というのはトップにだけ都合がよいものだ。

中国共産党の呼びかけによって集まった寄付金は、暴力団のみかじめ料や、カルト団体の献金と同様、結局のところトップの懐に入るだけで、世のため人のために使われることはけっしてないことは想像に難くない。

 

中国共産党が党にとって都合の悪い事件や報道は、対立する勢力による嫉妬や偽被害者によってでっちあげられた虚偽の情報だと教え込んでいるように、パワハラの被害者もまた、パワハラをする人を否定することを言ったりメンツを潰したりする人を拒絶するよう調教されている。

総裁が死刑判決を受けた工藤会は、福岡県警が工藤会撲滅作戦の一端として、構成員にまっとうな仕事をあっせんしたことで構成員の数が減ったことも功を奏したそうだが、好んでやくざになる人がないように、みずからの意思ですすんでパワハラを受けつづける人もいない。

最初はこんな人だとは思わなかったし、むしろいい人だと思っていた、その人と一緒にいることで求めていた幸せが得られ、世の中の役にも立てると信じていた、一緒にいるうちにすこしずつおかしいと思うところはあったけれど、別れを切りだすほどでもなかったし、理不尽に怒られて嫌な思いもするけれど、この人にとって自分は特別だと感じられるときもあったからこれからも一緒にいたいと思った、けれど、やっぱりこの人おかしい、人としておかしい、とはっきりと自覚したころには、別れを切りだせないくらいふかく関わってしまっていて、でも家族や友人との関係を捨ててまでこの人と一緒にいることを選んだのだから、いまさらほかに居場所があるとは思えない、それに報復せれることを思うと恐ろしくて決別の決心がつかない、いまの生活は心の底から幸せといえるものではないけれど、もっと大きな幸せの可能性を探ってひどい報復を受けるくらいなら、このままおとなしくして最低限の幸せを手放さない毎日を送る方がまだましのように思える、だから決断を先送りして、ずるずると同じ毎日をもう何年も過ごしている。

というのが、いまもパワハラを受けつづけている人のだいたいの実際ではなかろうか。

でもこれは、構成員が「まっとうな仕事」に就いたことで工藤会の勢力が弱まったことと同じように考えるなら、パワハラ人間の弱体化は、ひとりひとりが自身の幸せにパワハラ人間は影響しないという事実を認識することで簡単に成功する。

結局のところ人の心を満たせるのは、好きなことや好きな人から与えられるささやかな幸せなのだから。

 

恣意的にターゲットを定めて見せしめ的に締めあげるのは、中国共産党の伝統的リンチ手法である。

一見いかにも巨悪の不正を是正するうえで有効そうにみえ、すくなくとも今回の工藤会総裁への死刑判決はその効力をもっているようにみえる。

今回の福岡県警と裁判所が前例のない共謀共同正犯を認めて工藤会トップに死刑判決を下したことは、ほかのやくざを大いにびびらせたはずだ。

実行犯ではないトップへの死刑判決と同じ判断がほかの暴力団にも下されれば、同じようにしてすべての暴力団を撲滅することができる。政治家や大企業のトップも然り。

問題は、その中国共産党の伝統的手法を、いまとなっては一見中国共産党や暴力団とは無関係な日本の団体が、民間人の奴隷化と富の収奪を行うために用いているということだ。

パワハラ人間の「けっして強制ではない」という言葉によって、詐取の性質をもつ金品や物品や労働力や才能の移動が「自由意思による寄付」とされ、事件化されることなく善意の一般人が泣き寝入りを強いられている。

ほんとうは、ひとりひとりが人類の救い手であるはずなのに。

 

暴力を正当化する人への異例の判決が茶番でなく、暴力のない世界の始まりになっていることを願う。

天安門広場には意味ありげに、ブラックスワンも現れたということだし。

 

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