04.13
『天皇と儒教思想 伝統はいかに創られたのか?』と、権利者に追従して保身栄達を図る「馬鹿」
中国共産党は、武漢ウィウルスを世界中にまき散らし、世界の先進国の弱体化を狙っている。
そうして中国共産党が世界の覇権を握り、「天命を受けた世界の中心」を体現することを目論んでいる。
中国共産党的考え方の源である儒教の祖とされる孔子は、卑賎の生まれながら官吏を目指すも叶わなかった。
その惨めな思いはやがて復讐心にかわり、孔子は、自身が夏・殷・周の古代三大王朝の礼儀を極めた「聖人」だと「自称」して人びとを欺き、自身の王朝を創建することを目論んだ。
いまの中国共産党の暴走はまさに孔子の模倣だが、聖人を自称して自身の王朝を創建しようとする真似は、仁だ礼だと聞こえのいいことはいいながら、その実、中国共産党のようにうぬぼれが強く暴力的で、恐怖で支配するしかなくなる裸の王様である。
さて、日本の天皇制は、儒教国である中国由来の制度である。
新天皇即位後に行われる大嘗祭や、収穫に感謝する新嘗祭、元旦の四方拝など皇室独特の行事は神道と深い関係にあるが、神道も儒教同様、その源はユダヤ教である。
その宮中祭祀のひとつに、その年の五穀豊穣などを祈る「祈年祭」があり、毎年2月17日に行われている。
その祈年祭の源流が、中国の祈穀祭祀「月令」にあると、『天皇と儒教思想 伝統はいかに創られたのか?』には書かれている。
そのおおもとは、前三世紀なかば、秦の丞相(首相)呂不韋が編纂させたと伝えられている『呂氏春秋』である。
『呂氏春秋』には「十二世紀」と称される部立てがあり、毎月の天文・気象、生物の様子といった自然の特徴と、その月に行うべき人間界の諸行事が列記されている。
これを継承するものとして編纂された「月令」という文章がある。伝承では、漢の文帝(在位前一八〇~前一五七)のときに、朝廷の博士たちの編纂によるという。
その後、前一世紀に戴聖という人物が編纂した、礼に関する諸文献の集成書に収録された。
この集成書は、礼の経典に対する解説書という意味で、やがて『礼記』と呼ばれるようになり、鄭玄(一二七~二〇〇)によって三礼の一つに認定された(二七頁参照)。
三礼とは、礼の経典として『儀礼』と『周礼』、それにこの『礼記』の三つの書物をさす。
やがて『礼記』は他の二書を押しのけて礼経を代表するものとなり、科挙試験の出題対象教材となった。
今でも歴史の教科書などで四書五経という語を説明する注に、礼からは『礼記』をあげているのはそのためだが、経学の解説としては正しくない、本来の礼の正当な経書(礼経)は、『儀礼』だったからだ。
『礼記』は当初、あくまでもその解説書(「記」)として、雑多なテキストを集成して編纂されたものにすぎなかった。ただし、その諸篇が儒教教義を説いたものとして珍重されたため、経としてのあつかいを受けるに至った。
こうして『礼記』の一篇である「月令」は、王朝国家が遵守すべき時令の聖典とみなされるようになった。(p.113-115)
つまり宮中祭祀は、当時実際に行われていた実録にもとづいているのではなく、当時の著者たちが個人的に信じていた教説にもとづいてつくり上げられた仮想・架空の儀礼プログラムにもとづいているというのである。
その仮想・架空のプログラムとしての儀礼が現実化するのが、「儒教国教化」ともいわれる時期の紀元前1世紀から紀元1世紀にかけてである。
その立役者の一人が王莽で、王莽は自身の王朝で民衆に儒教をゴリ押しした結果、理想と現実があまりにもかけ離れ、民衆の反乱にあって自殺した。
その立役者の一人が王莽(前四五~後二三)だった。
王莽というと、わが国では『平家物語』冒頭、祇園精舎の段にその名が東条することで広く知られている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で始まる七五調の歌詞は、平家の栄華と没落を言い出すためのまくらとして、中国・日本の歴史から類例を列挙する。
「遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山」
最初の趙高は、秦の二世皇帝に仕えたおべっか使いの人物である。自分にさからう者を見分けるために鹿を馬と称して皇帝に献上し、不思議に思った皇帝が近臣たちに質した際、事実どおりに「それは鹿です」と答えた者たちを、自分にさからう可能性があるとして粛清した。
莫迦の宛て字「馬鹿」のもとになっている。(バカはサンスクリット語で「おろか者」を意味する語の音訳が本来の語源で、莫迦の方が古い表記)。
こうして皇帝に直言できるまともな政府高官がいなくなった秦は、民心にそむく政策をゴリ押しで行ったため、圧政に苦しむ人々が各地で蹶起してあえなく滅亡する。
権力者に追従して保身栄達を図り、その結果、国を滅亡させてしまうような連中は、自分では利巧なつもりかもしれないが、昔も今も「馬鹿」なのである。
(中略)
王莽は彼らとならぶ「奢れる人も久しからず、たけき者も遂にほろびぬ」の象徴的人物で、漢の外戚として権力を掌握し、譲位されて皇位になり国号を新と定めたものの、極端な儒教原理主義政策を推し進めて現実と齟齬を来たし、民衆叛乱の結果自殺した(p.120-122)
たとえば未知のウィルスが猛威をふるうという緊急事態において、外出や出勤の自粛は要請するがそれをした人の生活は保障しないという態度をとる国では、残業は要請するが残業代は払わないという態度をとることを正当化し、当然の権利を主張する従業員を非難するようになる会社がでてくる。
作品を募集しておきながら、採用したあとに著作権まで強要する。
「無印良品」の商標侵害訴訟で、本家の良品計画が敗訴したことからもわかるとおり、中国共産党的考え方には「権利」という概念が著しく欠如しているが、反対意見を「裏切り」と考え、事実を口にする人を「さからう者」と粛清するのは「馬鹿」そのもので、その「馬鹿」をよいものとしつづけるのもまた「馬鹿」そのものだ。
重要な決定が迫られる場面におかれるたびに、「馬鹿」が浮き彫りになる日本の首相は、国民の重要な決定としての憲法改正に執着している。
自民党改憲草案は、その第24条で、最小単位を個人では家族を単位とするなど「儒教的家族観」を重要視している。
儒教的家族観とはつまり、「15親等、20親等先の親戚まで利害関係で結ばれる」とういことであり、それが憲法で規定されるということは、顔も見たことがないほど遠い中国人の親せきを養うために自分の稼ぎがもっていかれることに文句をいえなくなるということである。
頑として税金を国民のために配らない国が、やっと国民に配ることにしたマスク2枚が「個人」ではなく「世帯」が対象とされていたのも、国民全体のためには使わないが一部の利権者のためには潔く使うのも、この国の代表が儒教的家族観の持主であるからであり、いままでは隠れて行っていた税金の私物化を、憲法を盾に正当化しようとしているからである。
自民党改憲草案は、日本の支配階級が公認の吸血鬼となり、政府が巨大な強盗と化すことを憲法に定めているものであり、つまり憲法改正は、儒教の国教化を狙い、儒教的政策をゴリ押ししようとするもので、国民にたいする「馬鹿」の強要だ。
中国では、現実と乖離した理想ばかりを押しつける指導者には民衆は反乱を起こし、その第一人者は自殺するか誅殺されてきた。
日本もおなじことが起こるかというと、国民の多くに知性と良心が備わっている日本では、中国の歴史のようなことにはならないと思うのだ。
でも、いまのように「馬鹿」が蔓延ってすっかりミニ中国化してしまった日本なら、その限りではないとも思うのだ。
■参考図書
小島毅『天皇と儒教思想 伝統はいかに創られたのか?』光文社、2018年
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