2020
04.12

『「神道」の虚像と実像』と、世界を爆買いしにかかる中国共産党、それに共謀する中華思想をもつ日本人

文化・歴史

 

中国共産党は「天命を受けた世界の中心」を自称する中華思想ゆえ、世界中で暴走している。

 

紀元前20世紀、中国の歴史に、突如「九夷」という異国人が現れた。

九夷には、旧約聖書に書かれているイスラエル12部族との共通点がみられた。

紀元前8世紀、西アジアでイスラエル王朝が滅亡し、逃れてきた民は中国人と合流して一大勢力となった。

紀元前6世紀の中国で、孔子はユダヤ教を儒教として編纂した。

 

中国の歴史では、すくなくともふたつの時期、つまり、前漢から後漢の時代と、三国時代の2から3世紀にかけて国家の人口が異常に減少したことが知られているという。

戸籍登録は、旧約聖書によるとイスラエルの子が神の命によって始めたもので、イスラエル12部族もまた戸籍登録制度により始まったが、人口の減少は、戸籍上の人口が減少したことを意味する。

紀元前8世紀、イスラエル王国が滅亡して中国に逃れて九夷(東夷)と呼ばれ一大勢力となったが、2世紀から3世紀にかけての中国における人口減少は、その戸籍登録の実務を仕切っていた東夷が多くの戸籍データを携えて中国から移住して東方に向かったと考えられる。

中国で歴史的な人口崩壊が発生した3世紀、かたや日本では応神天皇が詔を発表し、神の都の造営を同胞に呼びかけた。

 

律令とは法体系のひとつで、「律」は刑法、「令」はそれ以外の法に相当する。

701年に制定された「大宝律令」は、律と令がきちんと揃った日本最初の律令法典であったが、それは中国の律令制を参考に制定されたものである。

「天皇」ということばは、そもそも律令制における法律用語であり、天皇とは、中国で北極星を示す「天皇大帝」という中華思想による呼称なのである。

 

その律令制とセットなのが神社であると、『「神道」の虚像と実像』はいっている。

 

 いちばん検討されなければならないのは、「神社」という呼称・用語そのものが、律令制成立過程のなかで新たに生まれたもので、それ以前にはさかのぼらないということである[西田長男 一九七八]

(中略)

 神社とは、信仰形態という点でそれ以前と大きく異なるもので、そこに大きな質的な変化がみられる。神社成立以前の、福山のいう(a)~(c)では、神が聖霊であるなど、人間の目には見えないものとされ、したがって祭礼の度ごとに神を招き降ろし、榊・岩石や人などの依代に憑依させることが不可欠とされた。これは、原始社会以来の伝統にもとづくアニミズム(自然信仰)特有のカミを前提とする信仰形態ということができる。これにたいし、神社成立後にあっては、祭神が常時本殿に鎮座するものとされ、この固定化された祭神そのものが信仰の対象とされる。これは、本尊を祭ってそれを信仰の対象とする寺院と、その形式において本質的に異なるところがない。

 このことから、偶像崇拝的な信仰形態の成立、福山のいうところの(c)から(d)への転換は自然史的な過程ではなく、人為的・政策的なものであったことが推測できる。実際のところ、天武十年(六八一)から始まって、律令政府は再三にわたって神社(神殿)を造営するよう命じていて、それが律令政府の国家的政策にもとづくものであったことがわかる。その起点となった『日本書紀』の天武十年正月己丑(十九日)条には、「畿内及び諸国に詔して、天社・地社の神の宮を修理せしむ」(原漢文)と記されている。

 天神・地祇の神々を祭る神の宮(神殿=神社)を造営せよとの天武天皇の命令を伝えたもので、ここにいう「修理」は「神社」と同じく律令用語のひとつとして新しく生まれたもので、造営のことを意味している。

 天皇(国家)の命にもとづいて造営された常設神殿をもつ宗教施設こそが成立期の神社の姿であり、国家(具体的には、国家の公的祭礼の執行と全国の神社・神官の統括・管理を任務とした神祇官)の保護と管理・統制の下に置かれていたところから、一般にこれを官社(神祇官社)と称した。(p.24-26)

神社といえば朱色の鳥居がセットだが、朱色の鳥居は『旧約聖書』の「出エジプト記」にある、預言者モーセが神から玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、災いが通りすぎるまで家の中で待つよう指示されたことがルーツであり、年越しのルーツでもあるというのは有名だ。

さらに「鳥居」の形は古代イスラエルの建物(玄関口)とよく似た構造をしており、「トリイ」はヘブライ語のアラム方言で「門」という意味である。

ユダヤ文化と共通点をもち、中国由来の律令制の成立とともにつくられた日本の神社は、その成立過程で、目に見えない神の役割を人間にさせるという、ユダヤ教で禁じられていた偶像崇拝にすり替わっていったのである。

明治天皇は、「日本は神道である。しかし神道は本来ユダヤ教である」といっていたそうだが、明治維新とは、尊王攘夷という中華思想を標榜し、「天」の「命」を受けて地上を統治する「天子」たる天皇を地上の統治者とするために、江戸幕府より「命」を「革めた」テロであある。

天皇をめぐる諸制度は明治時代に改変されたものであり、現在に至る時の権力者にとって都合のよい天皇像は、明治時代につくられた。

 

自身が「天命を受けた世界の中心」と疑わない中国は、情報を隠ぺいし、中国発の病気が世界中に広がることを抑えることの邪魔をした。

世界を大混乱に陥れ、経済を破壊した。

その中国はいま、ヨーロッパ企業を「爆買い」している

当の日本政府は、緊急事態を宣言しても国民の生活の保障をする気はないようで、このまま国が保障しないまま、外出や営業の自粛や禁止ばかりが続くなら、日本でも体力のない個人経営や中小企業から倒産していくのは目に見えている。

 

日本企業が中国に爆買いされる事態になれば、大量の中国人が日本人の仕事を奪うだろう。

金がすべての中国的センスとモラルの会社が増えれば、そういう会社で働く従業員は、どうしたって卑劣な中国的センスとモラルの悪影響を受けて生きることになる。

そういう人が部下や子どもを育てると、部下や子どもは中国的モラルとセンスを常識として育つ。

そういう人が人の上に立つと、中国的センスとモラルに従わない人をなんらの合理性もなく非難し排除する。

恐ろしい、と思うが、でもこれは、すでにいまの日本に蔓延っている性質ではないか。

 

いまや日本は、中華思想を持つ者にとって都合のよい国に成り下がっている。

そしてこの事態の原因に中国があることを日本のマスコミは報道しないが、日本のマスコミが中国の事実を報道できなくなった、その原因のひとつは、「日中友好」にあることを忘れてはならない。

くわえて、「日中友好」を提言したのは創価学会会長の池田大作であることや、池田大作は「日本に天皇制は不要」と天皇の処刑をしたがっている中国共産党と同じスタンスをとっていることも。

その創価学会が支持母体となっている公明党が自民党と連立して政権与党を担い、その政権が、こういうときのために国民が預けてきたはずの税金を、国民には頑として使わないことも。

 

■参考図書

井上寛司『「神道」の虚像と実像』、講談社、2011年

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