04.10

『黒死病 ペストの中世史』と「日本はほかの国とはちがう」「自分はほかの人とはちがう」と自惚れる中華思想
新型コロナウィルスの世界的な感染拡大をめぐり、アメリカをはじめ各国の首脳や高官が中国共産党政権に賠償金を請求し、責任を追及する声をあげている。
今回のコロナウィルスの感染拡大は天災ではなく中国共産党による人災であるというのはもはや世界常識となっているが、一方、日本では、4月7日、都市封鎖をともなわない緊急事態宣言が発令された。
その後の記者会見で、安倍晋三は、多くの都市では都市封鎖をともなう緊急事態宣言が日本ではともなわないことをイタリア人記者に質問され、「日本の状況はほかの国とは違う」という考えを示し、そのうえで「最悪の事態」になった場合の責任については「責任をとればいいというものではない」とした。
この発言からも安倍晋三の「日本は特別」「自分は特別」という中華思想の持主であることがわかるが、つまりこれは、「『最悪の事態』が起こった際は、都市封鎖をしない決定をした私ではなく、自粛要請を守らなかったあなたがたに責任を押しつけます」という宣言に等しい。
安倍晋三が近い将来とるであろう行動は、いまの中国共産党をみればわかる。
中国共産党はなにをしているかというと、フランスに対して、マスク10億枚を送ることと引き換えに、ファーウェイの5G設備導入を提案している。
人の弱みにつけこみ、歪んだ優越意識で中国共産党が利する行動を強要する。
この卑怯な中国共産党の本質を、首相に限らず、日本および自身の人生の重要なことを決める権利が与えられている人がもっていないかを見極め、そのような人物を徹底的に排除するときに日本はきている。
多くの死者をだした感染症といえば、ペストが有名だ。
なかでも14世紀なかばのヨーロッパを襲ったペストによる被害は甚大であり、「黒死病」の名で知られている。
1347年10月にイタリアのシチリア島から始まった黒死病は、3年経たないうちにユーラシア大陸まで広がり、ヨーロッパの全人口の約半分、世界中では1億人ほどが死亡したとされている。
その黒死病は、もとは中国からもたらされたと歴史家マクニールは『疫病と世界史』でいっており、雲南省地方に侵攻したモンゴル軍が、ペスト菌を媒介するノミと感染したネズミを通じてヨーロッパまでもたらされたのだという。
中世、ペストによる死につけ込んだ者ののなかには、聖職者とされる者もいた。
黒死病の蔓延を神が下した罰とし、「死んだあと無事に天国にいくためにはどのような態度や振る舞いをとればよいか」を説いた「往生術」が急激な発展を遂げた。
遺言状は天国への企業報告書のようなものであり、その「天国への決算書」に踏み込む聖職者まで現れたと『黒死病 ペストの中世史』はいっている。
中世のペストに続いて、死が横行した長い世紀を経験することで、宗教に対する感情も大きな影響を受けた。人びとは神とのあいだに、より緊密で、より個人的な関係を求めるようになったのだ。この新たなムードを表す一つの例は、ノーマン・カンター教授がいう「キリスト教の私物化」だった。貴族のあいだでは一般的だった小礼拝堂(個人所有の礼拝堂)が、いまや裕福な商人や専門職の家庭、そして職人のあいだでもごくふつうにみられるようになり、職人たちは職能別のギルドを通じて専用の礼拝堂を建てはじめた。もう一つの「私物化」の現れは、神秘主義の人気が高まったことである。「予想のつかない恣意的な悲劇」の時代に、多くの人びとが神との直通回線をもちたいと願ったのだった。
宗教的な感情が高まるにつれて、富裕階級の遺言状は天国への企業報告書のようなものになってきた。なかには「天国向けの決算書」にまで踏み込む人がいた。たとえば、サー・ウォルター・マニーの善行には、ロンドンの基地を購入したこと、礼拝堂を建て、その一部に修道士がペスト犠牲者の冥福を祈る場所を設けたことなどがあった(のちにおなじことがくりかえされ、この礼拝堂はロンドンの名所の一つ、チャーターハウス[訳注/現在のチャーターハウスの広場の北にあったカルトゥジオ派の修道院で、慈善施設や病院を兼ねた]になった)。しかし、たいていの金持ちは死後、魂の安らぎを祈ってもらうには十分すぎる大金を残した。
宗教的な感情が高まる一方で、教会に対しては大きな幻滅を感じずにはいられなかった。中世の最大の危機にあたって、教会は他のすべての組織と同じように、まったく役に立たなかった。しかも、教会は大勢の優秀な神父を失い、生き残った者は聖職者にあるまじき行動をとることが多かった。一三五一年、ペストの第一波が去ったあと、聖職者たちを厳しく非難する人もいた。「信徒の前で説教をする資格などあるのか? 謙遜を説きながら、あなたがたはこの世で最も尊大で、高慢で、傲慢で、派手好きではないか。清貧を説きながら、あなたがたほど貪欲で欲ばりな者はいない……貞操に関しては、いわぬが花であろう」。(p.379-380)
のちに儒教として編纂され、中華思想の源となったユダヤ教は「信仰は行いで示せる」としたが、それは「礼」を「仁」の証とする儒教の考え方とかわらないし、死とうい恐怖と不安を盾に人の弱みにつけこんで他を利する「天国向けの決算書」をつくらせる聖職者は、フランスにマスク10億枚と引き換えにファーウェイの5G設備導入を提案する中国共産党とかわらない。
そして天国の有無をかたるか否か、聖職者であるか否かにかかわらず、つねづね自分のいうことを聞くよう上からものをいう人が、いざとなったら金に目がくらみ、責任をとらずに他人になすりつけるようなことをするのは、いまの日本とかわらない。
ところで、この中世のペスト流行に端を発しているのが現在の検疫で、1377年のヴェネツィアで始められた。
最初は30日間だった検疫が、それでは短すぎると40日に変更された。それゆえ英語の検疫「quarantine」はイタリア語の40(quaranta)に由来する。
死をともなう世界的パンデミックを契機に、人びとの意識が変わり、それまでなかった常識が生まれ次世代の常識となっていくのなら、死に追いやる感染症をくり返し世界にもたらし、それで世界がどうなろうとかまわないと考える中国共産党および中国共産党的思想の人への検疫が、今後の世界での常識となっていくのだろう。
■参考図書
ジョンケリー著、野中邦子訳『黒死病 ペストの中世史』中央公論新社、2008年
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。