2022
01.27

『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ50年史』と陰謀論とキリスト教

BOOKS, 国際情勢, 文化・歴史

イタリアから届くはずの荷物がなかなか届かない、と思って調べたら、アフリカ豚熱が発生しているという。

タリアからの豚肉等の一時輸入停止措置について

 

もっとも、送られてくる荷物は豚肉ではないし、遅延の原因がこれかどうかもわからない。それに、コロナやアフリカ豚熱が発生する以前から、イタリアの郵便に日本のそれのような確かさを求めることは間違いだと知っていた。

だから荷物は、今回が遅れているというより、前回がなぜかたまたま早かった(通常通りだった)、前回がラッキーだったのだと考えて、苛立ちと期待と諦念が混ざった気持ちを落ち着かせる。

なんともいえない気分を紛らわせるために、アフリカ豚熱(AFS)やイタリアからの豚肉等の一時輸入停止措置についてのことを調べることにし、豚やいのししに感染する致死率の高い伝染病であること、牛や馬、その他家畜への感染報告はないこと、人間にも感染しないこと、現在日本で発生している豚熱(CFS)とは別の病気であることなどを知り、パソコンに向かって、ほええ、と言う。

日本とイタリア間では、もともと生きた豚は輸出入していないというから、問題は、生の(冷凍の)肉だけかしら。

そう思っていたら、農研機構のページに次の文章を見つけて慄然とする。

また、ASFVは死亡した豚の血液や、各種の臓器ならびに筋肉内に3~6か月間残存するため、ウイルスに汚染された豚肉や豚肉加工品を豚に給餌することで感染が成立する。ウイルスは冷凍された豚肉内で110日間以上、スペインの生ハム中で140日間以上、また、燻製や塩漬のハム等の中でも300日間以上感染性を失わないという報告がある。

外食に制限がかかったコロナ禍は、その制限にどれほど影響を受ける身だったかどうかはともかくとして、原木生ハムを自宅に買うにはいい機会になった。

けれど、こうして環境に合わせて変化する自宅での食生活にさえ、影響を及ぼすイタリアでのアフリカ豚熱は、中国からの密輸によってもたらされたと知ると、また中国かいとうんざりする。それに、食材の輸入が止まる、あるいは価格が高騰することで失うなにかよりも、理由がどうあれ中国との連携を拒まない、あるいは積極的に手を組む国々が、というか日本が、中国に関わりつづけることにより失うなにかの大きさを想像しない人びとによって重要なことごとが決められていることを思って、暗澹たる気持ちになる。

そう思っているときに中国が、国内でのオミクロン株の感染源を国際郵便に責任転嫁していることを知って、イタリアと日本間の国際郵便遅延に直接関係のないこととはいえ、タイミングの良さに、中国には巨大ブーメランがざくざくと刺さって速やかに致命傷になることを願ってしまうのである。

 

ところで、アフリカ豚熱。

イギリスやスペインで新型コロナウィルスの危険レベルを引き下げることが検討され始めた一方で、新たな感染症のニュースを見て、これは闇の支配者が第二のコロナ禍を企んで仕組んだことだとか、コロナ以前から計画されていたことだとか、なぜなら世界は悪魔に支配されているのだからとか、現実のように決めつけて語る人がいて、そういう言説は世間では陰謀論と呼ばれている。

 

陰謀論は、陰謀が存在するから存在する。

国際関係は陰謀=秘密のはかり事の連続なのだから、日本を含む現代の世界の国々が国際関係なしに成り立たない以上、一見荒唐無稽な言説を「陰謀論だから」で済ませるのは、現代を生きる者としてすこし怠惰なように思う。

人間の意思とは思えないより大きな力や目的があると信じることや、現実に起きた物事からべつな現実を想像することは、理性の範囲で多くの人がしているはずのことだし、理性を超えた酔狂で恍惚とした体験も、言葉では説明しがたいけれどあると思う。

とはいえ、陰謀が存在することと、陰謀の存在を信じることは、まるで違う。

陰謀が存在するそのことよりも、陰謀の存在を信じることが意味を持ち、存在を追求したり検証したりすることよりも、信じることを存在することと同義として生きる拠り所としている人たちがいて、そういう人たちは、概して「巨悪を倒して平和をもたらす」という同じ目的に向かっているようで、しかし互いを非難し合っている。

まるで、自分たち以外は偽物だとでもいうような排他的なその人たちには、自説への反論を受けつけないということ以外にも共通点があって、それは、彼らの言説が聖書に基づく思想で説かれているということだ。

このことは、なぜ世の中に陰謀論が広まるのかを考えるヒントになると思うし、なぜならそれはキリスト教そのものが陰謀論的な思想であるからだということが、『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ50年史』には書かれている。

 そもそもプロテスタントが、カトリックの陰謀により生み出された欺瞞と腐敗の信仰体系に代わる、真実を語る信仰体系だった。ピューリタンも、エリートの陰謀に抑圧されて独自の被害者意識を作り上げ、アメリカに亡命してきた。だが、体制に反対する人々が築いた新たなアメリカ社会は瞬く間に、その体制に反対する人々を生み、互いに相手を陰謀家呼ばわりして攻撃・迫害した。

キリスト教という宗教そのものも、このうえなく壮大な陰謀を信じることで成り立っていると言える(疑似的な論理性を極端に高めたアメリカの宗派は特にそうだ)。神という首謀者が、天使や預言者という共犯者の助けを借りて、全宇宙的な計画を構想・実行するという陰謀である。世界を陰謀で説明しようとすると、世界を宗教的に説明する場合と同様に、あらゆる点(現実の点も想像上の点も含め)を線で結びつける傾向が強くなる。つまり、どんな事柄にも意図や計画や目的を持たせ、一般的にはそれらより大きな力をもつ確率や偶然性を無視してしまう。(上巻 p.156-157)

イギリスの植民地から独立したアメリカの考えのもとになった1517年のルターの告発文で、ルターがもっとも対抗したのは、当時のカトリック教会が販売していた天国への偽の許可証についてだった。

しかし、それ以外の二つの革命的思想が、プロテスタントの基盤となり、同時にアメリカの基盤となった。

一つ目は、聖職者神やイエスや真実に接する特別な権利はないという主張。

二つ目は、聖書に記されたイエスに関する超自然的な物語を信じられるかどうかが、立派なキリスト教徒になるための唯一の条件であるということ。

つまり、信者は善行を積むだけは天国へは行けず、重要なのは、信じる心をもてるかどうかにある、というのだ。

これは、たしかに偽の天国への許可証よりは公平だ。

が、同じくらい理性的とはいえない。

いわば、カトリックのそれから筋書きが変わった架空の物語を熱心に支持した、それがプロテスタントだったのだ。

 

こうしてアメリカのもとになる考えは生まれ、何百もの一般大衆が、権威ある専門家がなにを言おうと、なにが真実でありなにが真実でないかを決めるのは自分たちである、と考えるようになった。

こういう情熱的で空想的な信念がなにより重要なのだと思い込むようになった人たちによって、「ファンタジーランド」としてのアメリカの基礎は作られた。

でもそれは、過去の一点の出来事ではなく、むしろ筋書きを変えて連綿と、世界中に派生して続いてきたことだ。

16世紀のキリスト教でみられた、「共通の幻想体系の中に確立された不可思議なルールに違いがあるだけ」という実態は、現代の陰謀論の代表「Qアノン」の陰謀論が、救い主がいて、世界の終焉である「終末」に至るまでに何があるのか示しているために一部のキリスト教徒を強烈に惹きつけているらしいことからも理解ができる。

そのことがアメリカだけでなく日本においても再生され、筋書きの違う陰謀論者の集団が互いに非難し合うところまで再生されていることからも、歴史がくり返していることが見てとれる。

 

「世界の終わり」に「善行」や「悔い改め」によって得られる「救い」や「天国」は、人間への究極のインセンティブである。

けれどそれは、「存在すること」なのか、「存在すると信じられていること」なのか。

 

アメリカに「終末」信仰を広めた重要人物は二人いる。

一人はウィリアム・ミラー、もう一人はジョン・ネルソン・ダービである。ミラーは一般人、ダービは正真正銘の学者である。

ミラーは若いころは宗教に懐疑的だったというが、1812年の英米戦争で砲撃を受け、“奇跡的に”“九死に一生を得助かり”“自分が救われたのは神の使命を果たすためだと確信する”。

この「新生」の経験を経てバプテスト派の説教師になったミラーは、やがて聖書の「終わりのとき」の啓示を受けたダニエル書の記述に心を奪われる。

預言者ダニエルは、大天使ガブリエルにこう言われる。

「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

この「2300日後に聖域が浄められる」という預言を、ミラーは“10年かけて”読み解き、“完全につじつまの合う解釈を見出した”。

それによれば、天使が預言したのは紀元前458年であり、2300「日」は実際には2300「年」を意味する。また、聖域が最終的に浄められるというのは、キリストが再臨することを述べているに違いない。このように考えて数字を計算すると、「終末」は1843年の春になる。(上巻、p.113)

 

彼はこれが、“完璧に科学に基づいた解釈だと信じ”た。

その後、「終末」が近いと訴えるパンフレットや書籍、定期刊行物を無数に出版し、野外集会でも熱心な説教を行った。

結果、当時の地域住民の10分の一に当たる100万人近い信者を獲得した。

ミラーが預言した1843年は、しかし、何事もなく過ぎた。

預言がはずれたことを、ミラーは計算間違いだと判断したが、あらたに導き出された「ほんとうの終末」の日も、やはり普段と変わらない火曜日だった。

 

200年近くも前のミラーのはずした預言への対応に既視感があるのなぜかはさておいて、もう一人の人物ダービの終末論は、権威によってなにが正しくてなにが正しくないかを決められるのを嫌う一方で、学問によって自分の信念が裏づけられ、みごとなまでに洗練された理論に仕立て上げるのを喜んで受け入れるアメリカ人の性質をうまくとらえた。

彼の終末論はこうだった。

①終末がくるというだけで具体的な日付を設定しなかった
②「終末」のイメージを信者にとって極めて魅力的なもの(「携挙(Rapture)」により自分たちだけは安全にハッピーエンドを迎えられる)にした
③突飛なものではなくどの宗派の神学にも追加できそうな概念を提供した

非科学的なことを信じながら、科学的根拠に裏付けされたいと願う信者は、学者であるダービが信仰への取り組みを「科学だ」と断言することで、その信仰の妥当性を疑似経験的、“科学的”に検証することができた。

「ファイナル・ファンタジー(最後の幻想、「終末」、イエスの再臨、サタンの敗北)」を、直接経験することになるかもしれないという期待を抱かせることと、聖書を非の打ちどころのない一連のデータとして扱うこと。

こうして二人の終末論は科学が重視される時代にも支持され、元をたどればこの二人に行きつく預言信仰を信じた一部のキリスト教徒が、いまも「存在すること」と区別しない「存在を信じること」を拠り所に生きているのである。

狂信的であるかどうかはともかくとして、日本におけるキリスト教徒の割合は、長年1%前後から変化しないといわれている。

一方、同じアジアにありながら、韓国は人口の約30%をキリスト教信者が占める。

日本では広まらなかったキリスト教が韓国で広まった理由について、戦後の経済的豊かさの差異が影響しているのではないかと考える人もいる。

世界の最貧困国のひとつにすぎなかった韓国は、1960年代なかば以降、驚異的な急激な経済成長を成し遂げたが、それに比例するようにキリスト教徒の人口も増え、現在の約30%という人口は、1970~80年代の20年で一気に増えた結果であるという。

キリスト教を信じることと所有財産の増加と幸福度の関連は、アメリカが世界一の経済大国になったことを理解することも助ける。

そうすると、日本がキリスト教に馴染んでこなかった理由は、日本人の所有財産が増加を続けてきたために幸福度が高かったからか、日本人の幸福度が所有財産の増加に影響されにくいからだと思われる。個人的には後者だと思う。

日本人の幸福度が所有財産に影響されにくい理由は、自然や文化の豊かさと、それと自身との親密度のようなものが関係している気がしていて、要は、疎外感を感じにくい環境だったからだと思う。

そう考えると、日本で活動を続ける朝鮮カルトが、疎外感を感じがちな都会の大学のサークルに集う人をターゲットにしていることにも納得がいくし、インターネットの活用によって人びとの集まり方が変わったいまは、勧誘の場をSNSに移しているということにも納得がいく。

そして陰謀論は、おもにSNS上で拡散されている。

 

正体を隠した宗教団体への勧誘行為は、本人の信教の自由を侵害する違憲行為であり、最高裁が違法との判断を下した例もある。

違憲行為とは、ワクチン接種を強要するのと同等に人権を侵害する行為である。

一方でワクチン接種(強要)に反対しながら、一方で教祖の出自や醜聞を隠して勧誘を行っているのなら、その団体は大きな矛盾を抱えていることになる。

矛盾を感じることができないか、矛盾を感じていても正せないことを示している。

他人の矛盾には目くじらを立てるくせに、自身の矛盾には目をつぶる人たちの集まりに関わったらどうなるか、は、中国共産党に関わった国や人をみればよくわかる。

 

ちなみに、同書の著者カート・アンダーセンは、トランプ政権に反対し、トランプ大統領を「生粋のファンタジーランド的存在」「ファンタジーランドの権化」と呼んでいる。

ほかの人が書いた本や記事では、「敬虔なキリスト教徒」とされるトランプ大統領を、しかしカート・アンダーセンは「最もキリスト教的でない人物」と言っており、それは、信仰する宗教を問われて「プロテスタント」と答えることが、「アメリカ人と言う代わりに西半球のホモ・サピエンスと言うような、奇妙なものの言い方だ」からだというのだ。

わたしにはキリスト教内で確立された「不可思議なルールの違い」を正しく理解することや、それゆえの違和感を感じとるのは不可能だ。

けれど、トランプ大統領にまつわる報道が真実であるとも思えない。

ましてや、トランプ大統領が完全無欠の聖人君子だとは思わない。

でも、でも中国共産党の横暴を止める政策をうったことは、たいへん素晴らしいことだったと思う。

 

狂気的になったアメリカや、幻想的になったバイデン大統領を、「一人のすごい人がちゃんとさせる簡単メソッド」のようなものが存在しない以上、日本がアメリカのように狂気的で幻想的にならないためには、中国共産党(的人や思想)と関わらないか、さっさと手を切るほかない。

イタリアだって一帯一路に首をつっこんでいなければ、もっと国際郵便が早く届いたはず、ということはないと思うけれど。

 

■参考図書

カート・アンダーソン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史(上)』東洋経済新聞社、2019年

カート・アンダーソン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史(下)』東洋経済新聞社、2019年

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。