08.30
終わった安倍晋三と、安倍晋三がもたらした終わらない弊害、それを終わらせるために。
2020年8月28日、7年半におよぶ長期政権を築いた安倍晋三は、突然、首相を辞任する表明をしました。
記者会見をみていて気になったのは、体調が悪いとのことで、覇気がないとはいえ、妙にさっぱりしていた表情でした。
まるで、なにかをやり遂げた人のそれのように感じましたが、はて、この人は一体なにをやり遂げたっけ、と思うと、思いうかぶのは、国民から大切なものを奪い、国民を疲弊させ、傷つけたことばかりでした。
ですから、安倍晋三のさっぱりした表情には、これだけ人を傷つけといてなにひとりでさっぱりしとんねん、と怒りを覚えると同時に、見ようによっては、さんざん自分が先頭に立って、自分の名前で犯してきた悪事を、もう犯さなくてもいいということへの安堵の表情にもみえて、それは、まるで、逮捕された際に逮捕した人に感謝を述べる犯罪常習者そのものだと思ったことでした。
正義であると思っていたことが、じつは犯罪だった。
このことの弊害は、犯人が逮捕され、裁かれても終わりません。
逮捕された人は、やっと逮捕されたことに安堵し、しかるべき罰を受けて罪を償えば、――この日本で、どれだけ司法がまっとうな判断を下し、しかるべき罰を与えるかはともかくとして――、法治国家の日本において、法的にはだれも彼を咎めることはできなくなります。
弊害は、だから、正義だと思い込まされてその実犯罪行為を受けていた側の心に残る傷と、そこから生まれる歪んだ考え方にあらわれることのほうが甚大です。
被害を受けた人が被害を自覚せず、心の傷が癒されないままでいることには、法律でも裁くことのできない、でもたしかに害をもたらすなにかが、見えないところで人から人へと伝播し、連綿と受け継がれて、ひどく得体の知れない気持ちの悪いなにかに包まれて生きることを余儀なくされるということです。
「ストックホルム症候群」とは、1973年、ストックホルムでの銀行強盗人質立てこもり事件で、犯人と人質のひとりが結婚する事態に至ったことから名づけられたもので、人質として監禁された人間が、恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作から、犯人に好意を抱くようになってしまうことをいいます。
だめ男に惹かれる女性は、その父親がだめ男である場合が多いといいますが、「家庭内ストックホルム症候群」とは、父親がどれだけ暴力をふるい、浮気やギャンブルで家庭を破壊する人であっても、家庭という閉鎖された空間で、自分の力だけでは生きていかれない子どもは、生きるために、そのだめ男の父親を好きになろうと努力してしまうという現象です。
その結果、本来もつべき、恐怖や憎しみ、怒りや嫌悪などの感情を、見てみないふりをする習慣がついてしまい、大人になって出会った自分の父親と似たような人を、怖がったり憎んだり、怒ったり嫌ったりするのではなく、好きになったり、協力したりするというのです。
その奇妙な現象が、でも現実にたしかに起こっていることは、女性を見下し暴力を正当化するという、父親に似た嫌なところをもつ人と過去数年にわたって公私を共にし、ようやくその人と別れられた後も、その気配のある人の話に耳を傾けがちで、信頼したい気持ちが起こり、いくばくかの労力や金銭を費やしたあとで、傷は浅くとも似た痛い目に遭ってようやく我に返るという現実を過ごしてきたわたしは、認めざるを得ません。
でもこれは、程度の差はあるにせよ、いまの多くの日本人が経験しているはずのことで、すべてではないにせよ、その一部は、たしかにアベノミクスでもたらされたと思うのです。
安倍晋三の辞職表明での、あの、疲れてはいてもさっぱりした表情は、だから、「私はこれにて、それらの絶望的に面倒くさい事態の当事者ではなくなりましたので、したがって責任も追及されません」という思いゆえのさっぱり感にみえ、忌々しさがこみ上げたのですが、そういう人が国の責任者に選ばれ、7年も放置されてきた現実は、まさに、主権者が抱える家庭内ストックホルム症候群がもたらした弊害だと思うのです。
「だれのおかげで飯をくえていると思ってるんだ」「おまえらはだまって従っていろ」「俺が一等偉いんだ」などという、家庭内暴力を引き起こして正当化する思考の究極が、いわゆる中華思想や、白人至上主義などに代表される優越思想である、と、わたしは、安倍晋三のおかしさが気になって、『そして安倍晋三は終わった-「天命を受けた世界の中心」を自称し暴走する中国と一党独裁安倍政権の危険な類似点- 』を書いているうちに思い至りました。
いまでは考えがちがう部分もありますが、本の最後にも書いた通り、安倍晋三が終わっても、わたしたちひとりひとりが暴力と正義をすり替えるような考え方をしている限り、その自己欺瞞を正当化している限り、ポスト安倍がだれになっても事態はよくなることはない、むしろ悪化する、ということは、いまもつよく思います。
安倍晋三は、首相としては終わりました。
でも、安倍晋三がもたらした弊害はほとんどまったく終わっておらず、これから、安倍晋三のような人がもたらす弊害が続きます。
その悪循環を止めることができるのは、遠回りのように思えても、まずは、わたしたちひとりひとりが、生きるために直視しないようにしていた自分の傷を、こんどは生きるためによく見てあげ、すこしずつそれを癒していくのだとだと思うのです。
そのうえで、すこしずつでも自分のほんとうの「好き」を取り戻し、大好きな人と一緒に好きでたのしいことをしていくことが、暴力と正義をすり替えて正当化する権力者が罪を犯してでも得られなかった、生きるということだと思うのです。
■関連図書など
岩月謙司『娘の結婚運は父親で決まる―家庭内ストックホルムシンドロームの自縛』日本放送出版協会、1999年
岩月謙司『なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』講談社、2004年
安冨歩『誰が星の王子さまを殺したのか――モラル・ハラスメントの罠』明石書店、1999年
リサ・マリクラ『そして安倍晋三は終わった -「天命を受けた世界の中心」を自称し暴走する中国と一党独裁安倍政権の危険な類似点- 』デザインエッグ社、2020年
東大教授と語る【安倍首相辞意表明】歴代最長内閣総理大臣安倍晋三の政治的ルーツとこれからの日本。愛に飢えた少年は愛に飢えた最高権力者になった。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。
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