2020
05.12

『天下と天朝の中国史』と矛盾する皇帝と天子、天下がひとつの家族になることを理想とする共産主義と、その準備としての憲法改正

文化・歴史

 

歴史上初となる「皇帝」の称号は、紀元前221年、秦の始皇帝が中国史上初めてすべての国の統一を成し遂げ、名乗った。

皇帝とは、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王「三皇五帝」にちなんだ称号で、「三皇五帝」とは、古代夏王朝が誕生する以前にいたとされる伝説上の8人の帝王のことである。

「三皇」は神、「五帝」は聖人であり、中国では、人類の文明が芽生えたあと、三皇五帝による文明文化の創造活動によって人類文明が形成され、繁栄するようになったとされている。

始皇帝は「煌々(皇皇)たる上帝」と比べて自己の権威を高めたが、それはすなわち天=神そのものを意味した。

つまり始皇帝は皇帝を名乗ることで、自らが天(=神)に等しい者であり、この世の絶対的な統治者であるとしたわけである。

 

その始皇帝は、秩序維持にもっとも有効なのは法であるとし、法による王朝の支配を目指した。

しかし儒家は法の支配を批判した。

始皇帝は儒学者の書物を燃やしたり、生き埋めにしたりする焚書坑儒を行って弾圧したが、あまりに法に頼りすぎたため、息苦しさに耐えかねた民衆の反乱が起きて法の支配は失敗し、秦は崩壊した。

秦に代わって起きた漢王朝は、秦の始皇帝が始めた皇帝制度を踏襲し、一方で儒教を国教とした。

そこで矛盾が起きた。

なぜなら、皇帝とは天(=神)に等しい者であり、この世の絶対的な統治者であるはずだが、儒教思想ではこの世の統治者は、「天」から命を受けた「天」の「子」である天子が天の代理人となって世を治めるとしているからである。

世を治める絶対的統治者は、天そのものである皇帝か、天の代理人である天子か。

 

その矛盾は、儒家による作為で正当化されたと『天下と天朝の中国史』はいっている。

 

 これは非常に困難な問題であった。なぜなら、皇帝制度は秦の始皇帝の始めた制度をそのまま踏襲したものであり、もともと皇帝という存在自体、儒家思想とはまったく相容れないものだったからである。

皇帝とは伝説上の三皇五帝にちなんだ君主の称号であり、始皇帝はそれを「煌々(皇皇)たる上帝」に比定して自己の権威を高めている。煌々たる上帝とは光り輝く上帝の意味で、上帝とは天の神、すなわち天そのものを指す。言い換えれば、皇帝とは天に等しい絶対者として地王に君臨する者であり、始皇帝は自らを宇宙の主宰者=上帝(天)になぞらえて、皇帝を名乗ったのである。

これに対して儒家思想では、地上の主宰者は天子であり、天子とは天命を受けた天に代わって民を統治する有徳者である。天子はあくまでも天の子であり、天そのものではない。つまり、唯一無二の絶対権力者であり地上の天である皇帝と天子とをどのように同一化・一体化するか、儒家が皇帝支配を正当化するためには、まずはこの問題を解決せねばならなかった。(p.26-27)

 

そこで儒家が考え出したのが、皇帝号と天子号の「使い分け」である。

いう相手によって自身の正統性の根拠をコロコロ変えたというのである。

 

  今、漢は蛮夷に於いては天子と称し、〔国内の〕王侯に於いては皇帝と称す。(『礼記』曲礼下、鄭玄注)

漢代には蛮夷に対しては天子と称し、国内の王億に対しては皇帝と称したという。ここでは王侯に代表させているが、じつは国内の官・民全体に対して、皇帝として君臨したということである。また蛮夷には天子として臨んだとするが、先述したように天地を祀る際にも天子と称しており、それぞれ機能別に皇帝号と天子号を使い分けていることが分かる。

この場合、天地の祭りに天子と称するのは、天の子である以上当然であるが、蛮夷に対しても天子と称しているのには、もちろん理由がある。それは漢の皇帝が蛮夷に接するときには、華+夷からなる観念的な広義の天下を念頭に置いて、天子の立場で臨んでいたからに他ならない。つまり、実際に統治する狭義の天下=華(中国国内)では絶対権力者の皇帝として、広義の天下の夷に対しては有徳者たる天子として接していたということだ。

(中略)

皇帝は、単に法の強制力だけで民衆を統治したのではない。天命を受けた有徳の天子であればこそ人々の支持を獲得し、徳治と礼治ことを掲げることでその身分を保証した。皇帝が、種々の礼を制定して天子を演じ続けねばならなかったゆえんである。(p.28-29

 

つまり、皇帝は、直接的に影響が及ぶ範囲の身近な人たちには人間として絶対であることを盾に皇帝を称し、直接的に影響が及びにくい遠方の人たちには神の子として絶対であることを盾に天子を称してご都合主義を正当化し、都合よく「徳」と「礼」をもちだして法の強制と併せて民衆を縛り、絶対者として君臨したのである。

こうした儒家による作為によって、皇帝と天子は同一化・一体化することになった。

称号を使い分け、皇帝ひとりが皇帝と天子、二人の役割を担うという矛盾を正当化したのは、しかし儒家と無知な民衆とのあいだだけであり、皇帝と天子は、本質的に、原理的に、その存在は相容れない。

 

 天が有徳者に天命を下して天子に任命するのは、その有徳者が一切の個人的欲望を排して、公平で崇高な徳を備えた至徳者であるからに他ならない。つまり、為政者の最高の徳を表す「天下を公と為す(天下為公)」(『礼記』礼運篇)能力が、天子の条件だといってよい。

他方、皇帝として即位するのは、王朝の創業者・受命者の血統に繋がっているためで、知られるように皇帝の地位は世襲によって継承された。これは「天下を公と為す」とは真逆の「天下を家と為す(天下為家)」(『礼記』礼運篇)行為に他ならず、天下という私的な家を皇帝家が代々継承していくことを意味する。

天子が一切の「私」を排除して「公」の立場に立つのに対し、皇帝は世襲によってその地位を得るため、すでにその時点で天子と皇帝の間には明らかな矛盾がある。天下を私する皇帝の行為は、天子の条件である至公性に反しているからである。一言でいって、天子と皇帝とはその存在自体が原理的に異なっており、その限りで天子と皇帝は最後までイコールになれるものではなかった。(p.30)

 

代々その血筋により国を私物化して統治し、地位を世襲する皇帝と、血筋に関係なくそれまでの「徳」によって「天」から「命」を受け、私的所有を一切せずその行為を為す天子。

その根本的に相容れない存在を正当化したのもまた、儒家の思想であった。

それが「天下一家」である。

 

 先述したように、天子が存在する原理は「天下を公と為す(天下為公)」ことにあり、同じく皇帝は「天下を家と為す(天下為家)」ことでその地位を世襲する。この二つの原理はもともと次元を異にするもので、本来同時に出現することはない。それを具体的に記すのが、儒教の経典の一つである『礼記』である。『礼記』礼運篇では「天下を公と為す」時代を「大同の世」といい、「天下を家と為す」中でもっとも治まった時代を「小康の世」と呼んで、ともに聖王が実現した理想的な治世と見る。もちろん、理想世界の極みが大同の世であることは言うに及ばない。

(中略)

大同の世とは、一切の私が消滅して公が貫徹する世界。別の言葉で表現すると、「聖人はよく天下を以て一家と為し、中国を以て一人と為す」(『礼記』礼運篇)ところの「天下一家」の状態がそれに相当する。

天下一家とは儒教の究極の理念で、天下が一つの家族になったことをいう。儒教の理論は『大学』の「修身・斉家・治国・平天下」に示されるように、家族愛を順次拡大してそれを天下にまで広げていく。最終的に天下が一つの家族になると、一切の争いごとがなくなり天下は安定するにいたる。そこでは天子は父、民は子となり、あたかも家族秩序がそのまま天下秩序に拡大したかのような、理想的な世界が実現する。こうした国家のことを家族国家とも表現するが、天下一家というのはまさに家族国家の極致、ユートピアであったわけだ。(p.30-31)


儒教思想が究極的に理想としているのは「天下一家」という家族国家であり、中国共産党が世界中で浸透工作を行うのも、最終的には世界中を自分たちの「家族」にしようとしているからである。

しかし儒教における家族とは、夏休みに遊びにいかれる田舎の親戚が増えることとはわけが違う。

儒教思想下での家族とは、「15親等、20親等先の親戚まで『利害関係で』結ばれる関係」であり、儒教的家族観をもつ人の家族になるということは、「序列の高い家族のためにすべての財産を差しだす義務を追う」ということである。

序列の高い家族とは世を統治する「皇帝」や「天子」である。

彼らを利するために庶民は私財の所有が許されず、全財産を失ってでも貢がなければならないということである。

「天下一家」とは、つまりは共産主義の極致なのである。

 

 

この「天下一家」ということばで連想されるのが、正式名称を「世界平和統一家庭連合」とする韓国の統一教会ではなかろうか。

統一教会が目指す「地上天国」は、国家・民族・宗教が垣根を越えて一つになった平和な世界であるとされ、それは神の血統をもった人類が生み殖えることによって実現されるという。

神の血統を持つとされる子どもを生み育てることは、結婚生活それ自体が平和への実践と、生きる意味となるというが、いかにも儒教思想に基づいており、「天下一家」を目指している。

つまり統一教会は、キリスト教を称しながらその実態は儒教思想に基づいて活動を行う、中国共産党の下部組織であるといえる。

 

その統一教会と縁が深いとされるのが、日本の自民党とその総裁・安倍晋三である。

コロナ禍では政府の対応の遅さが問題視され、営業や移動を自粛しない人たちを自粛に追い込むために「自警団」まで現れる始末だが、不自然なまでに的外れで愚鈍な政府の対応や「自警団」の出現は、憲法改正と私権を制限できる緊急事態条項の記載の必要性を醸成するためだといわれている。

しかし自民党改憲案は、緊急事態条項だけでなく、その24条でも国民の私権を奪い、儒教的価値観を押しつけようとしている。

 

【憲法第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)】一 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。二 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

【自民党改憲案】一 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。二 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。三 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 

「地上天国」を目指す統一教会の信者たちは、「合同結婚式」で自ら選んだ相手とではなく、教祖が選んだ見知らぬ相手と結婚するという。

結婚というごくプライベートな出来事に赤の他人が口出ししていいと考える時点で自惚れも甚だしく、私権の概念が欠如しているが、信者同士で結婚させたい真の目的が「天下一家」であるなら、その指導者は無知で盲目な羊たちに、その立場を最大限に利用して、「天下一家」成就の邪魔になるような価値観をもつ人との結婚が大きな罪であると罪悪感を抱かせ、罪を犯せば裁きが下ると怯えさせ、権利の侵害という暴力が「愛」であるという詭弁を真実だと思い込ませねばなるまい。

その儀礼を賞賛し、熱烈に信奉することをカルトというが、24条改憲案は、自民党の結婚と家族にまつわる価値観がカルトじみており、それを客観的にみつめなおして排除できない状態にあることを示している。

 

そしてそれは、中国政府による「一帯一路」構想と無関係ではない。

中国では、習近平が党総書記、国家主席になって以降、「中華民族の偉大な復興」や「中国の夢」が声高に叫ばれるようになっており、中華や中国概念を強調しているという。

「一帯一路」は、アジアとヨーロッパをつなぐ物流ルートをつくって経済成長につなげようとするものだが、要は中国主導の共同体構想である。

つまり「一帯一路」は「天下一家」の実現のためのプランであり、憲法改正はそのプランに加担するための準備である。

日本人は、大切なことをなにも知らされないまま、やがて「皇帝」や「天子」に命や私財を奪われるプランの実現に加担させられているのである。

日本を守るためには自分の人生を守る必要があるが、そのためには、すでに日本に多く浸透している中国共産党の工作員とその関係者がとる、中国的・儒教的行動原理を把握する必要がある。

そのうえで彼らに対峙する必要がある。

 

■参考図書

壇上寛『天下と天朝の中国史』岩波書店、2016年

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