2020
06.20

『モーセと一神教』とエジプト人モーセ、火山神ヤハウェと機械仕掛けの神

文化・歴史

 

ユダヤ教に生じた一神教は、中東の一柱の神にすぎなかった神ヤハウェを唯一神と「解釈しなおした」のが始まりと考えられる。

『旧約聖書』でエジプト圧政下のヘブライ人は、ヤハウェからの啓示を受けたモーセに率いられて「出エジプト」を行ったが、「葦の海」の沿岸でエジプトに追いつかれた際、モーセが神に祈りを捧げると海は二つに割れ、民が海底を渡り終えて祈ると海はまた閉じた。そのころ渡りはじめていたエジプトの追跡者は戻ってきた海水にのまれて溺れ、モーセの民は救われた。

この「葦の海」は、一般的には紅海とされているが、ドイツの旧約聖書学者グレスマンによると、厳密には紅海ではなく、紅海の北奥シナイ半島の東側にあるアカバ湾である。

また、海を渡ったモーセが、神からの契約として「十戒」を授けられたシナイ山は、神自身が燃える芝の中からモーセに語りかけたり、山全体が激しく震えたり、山が火に包まれて燃え上がったりという聖書の記述から判断すれば火山であるが、実際のシナイ半島に火山はなく、むしろ湾の反対側、つまりアラビア半島の北岸近くに位置していた。

アラビア半島北岸は、ミディアン人の支配領域で、ミディアン人は火山神ヤハウェを主神として崇めており、エジプト軍に追われたモーセたちに、割って入って救ったのがその土地の土着の神ヤハウェであった、というのが「葦の海の奇跡」の顛末であるが、この奇跡によりモーセは、「民自らがヤハウェを固有の神として選ばれなければならない」と直観し、ヤハウェを唯一の神であると公式に宣言するに至ったのである。

 

そのモーセについて、もともとユダヤ人ではなくエジプト人であり、「出エジプト」以前より一神教を信仰し、それはエジプト第18王朝イクナートン時代に誕生した偏狭な一神教「アートン教」であるといっているのが、ジークムント・フロイトの『モーセと一神教』である。

(中略)モーセはただ単にエジプトに定住していたユダヤ人の政治的指導者であっただけではなく、彼はまた彼らの立法者、教育者でもあったわけで、こんにちなお彼にちなんでモーセ教と呼ばれる新たな宗教をユダヤ人に強制した男だ、との事実をわれわれは忘れてはならない。ところで、たったひとりの人間がそう簡単に新しい宗教を創り出せるものであろうか? また、誰かが他人の宗教に影響を与えようとするとき、その人が他人をその人自身の宗教に改宗させるのがもっとも自然な経緯ではあるまいか? エジプトに住んでいたユダヤ民族もおそらくは何らかの宗教を持っていたであろう。そして、ユダヤ民族に新たな主教を与えたモーセがエジプト人であったならば、このもうひとつ別の新たな宗教もまたエジプトの宗教であったとする推測は、それゆえ、否定できない。

(中略)

エジプトがはじめて世界帝国となった輝かしい栄光に満ちた第一八王朝のとき、おおよそ紀元前一三七五年ころ、ひとりの若いファラオが即位した。

この若いファラオははじめ父親と同じくアメンホーテプ(四世)と名のっていたが、のちにその名前を変えた。しかも彼が変えたのは彼の名前だけではなかった。この王は、彼の支配のもとにあるエジプト人に、彼らの数千年の伝統や彼らが親しみ信じてきた生活習慣のすべてを峻拒するように新たな宗教を無理強いしようとした。この宗教は厳格な一神教であって、われわれが知りうる限り、このような試みとしては、世界史上最初のものであった。そして、唯一神信仰とともに、避けようもないが、宗教的な不寛容すなわち他宗排斥が生じ、この不寛容は、古代にあっては、昔から――そしてそののちも長いあいだ――異物の如きものであった。ところがアメンホーテプの治世はわずか一七年しか続かなかった。紀元前一三五八年に彼が死んだのち、ただちにこの新たな宗教は一掃され、異端の王への追想は捨て去られた。(p.22-26)

 

アートン教(アテン)の唯一神アートンは、アメンホテプ4世が、それまでの多神教であるアメン神信仰を捨て、本来の太陽神であるラーを唯一神として復活させたもので、あらたな神観念としてアートン神を創出して「万物の創造主」であるとしたものである。

アートン信仰は、唯一神が太陽という自然神でありながら、愛によって人々を救済するという宗教であり、それゆえ、エジプトと西アジアという異なる民族と文明を内包する地域を支配する専制君主に適していた。

イクナートンは、自らその神を讃えた『アテン讃歌』を著し、太陽をエジプト内外すべての生きとし生ける者の創造主そして保護者として讃えているが、とりわけ、「あなたが西の地平線に沈むと、大地は闇の中で、死んだようになる」という箇所は、『旧約聖書』の「詩編」104篇にある「日はその入る時を知っている。あなたは暗やみを造って夜とされた。その時、林の獣は皆忍び出る。老いた年寄りししはほえてえさを求め、神に食物を求める。日が出ると退いて、その穴に寝る」と類似しており、ヤハウェ信仰がアートン信仰に影響を受けたことを物語っている。

また、ヤハウェ信仰において割礼は、生後8日の男児に神との契約のしるしとして行い、これに違反する者は契約を破るものとしているが、割礼の習慣はエジプト由来のものである。

ユダヤ教では神の名をみだりに唱えることは禁止されているため、ユダヤの儀式書では神の名を用いるのにあたって制限を規定し、「ヤハウェ」の代わりに「アドナイ」といわなければならないが、「アートン」と「アドナイ」が似た響きをもつのが偶然でないとするなら、ユダヤ教における信仰告白は、すなわち太陽神アートンへの信仰告白とすり替わる。

 

 モーセの宗教はアートン教にほかならないという命題を証明する近道があるとすれば、それは、告白ないし宣言の意味内容に向かう道であろう。しかし、このような近道などないと言われてしまうことを私は危惧する。ユダヤ教の信仰告白は周知のように Schema Jisroel Adonai Elohenu Adonai Echodと語られる。もしもエジプト語のアートン(あるいはアートゥム)という名前がただ単に偶然にヘブライ語のアドナイそしてシリアの神の名前たるアドニスと似た響きを持っているだけでなく、時代を超えて言語と意義の共有の結果であるとするならば、このユダヤ教の文言は以下のように翻訳されるだろう。聞けイスラエルよ、われらの神アートン(アドナイ)は唯一の神である、と。(p.34)

イスラエルの神がエジプトの太陽神アートンであるなら、その神はエジプトのみならず、古代ギリシャや古代ローマ、インカ帝国やマヤ文明、ヒンドゥー教や日本の皇室の神でもあることになる。

そして、ヤハウェ神が太祖より唯一絶対の神ではなく、エジプトにおいて唯一神信仰の影響下にあったエジプト人モーセがエジプトを逃れて約束の地に向かう苦難の途中、奇跡とも思える自然現象をもって助けの手をさしのべた神ヤハウェを、救われた感動のあまりこれぞ唯一絶対の神であると解釈し、民にそのように教え込んでいったのであれば、こんにち世界でもっとも「成功」した宗教のひとつのユダヤ教を理解するには、その前提から考えなおす必要がある。

つまり、その意思において、いくつもある民族のなかからユダヤ民族だけをおのれの民として「選びとった」のは天地創造の唯一絶対の神ヤハウェではなく、ヤハウェ神を天地創造の唯一絶対の神と「解釈しなおした」モーセその人である。

 

現代において、知識も技術も高度に発達したといいながら、いまなお人を選びとっているのは神ではなく、神から選ばれたかのようにふるまうただの人である。

それを認めようとしない神を信じる人びとの欺瞞の累積が、「教育」「しつけ」「常識」という、誰にも否定できない名前をまとった暴力を巨大化させている。

暴力が正当化することは罪による罰であり、赦しのために捧げられる肉体的・精神的犠牲であるが、現代社会は、すこしの科学技術こそ発達しても、その精神性は紀元前の時代からなんの進化もみられないように思う。

「神の愛」と「人間の暴力」をすり替えて民を従わせる人たちが、自身を正当化するための切り札は、ならば結局のところ、モーセよろしく、「デウス・エクス・マキナ」ではないか。

 

デウス・エクス・マキナとは、古代ギリシャの演劇における演劇技法のひとつで、「機械仕掛けの神」と訳され、解決困難な局面に陥った際、絶対的な力をもつ「神」たる存在が登場し、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を強引に幕引きへ持っていくという手法である。

シェイクスピアの『真夏の世の夢』や、ゲーテの『ファウスト』、モーツァルト『イドメネオ』などで使われ、当時はクレーンのような機械で神の役を登場させ、「神様が全部なんとかしてくれました」というオチで片づけたため、「機械仕掛けの神」は、転じて、作為的な大団円を指す。

神の愛と人間の暴力をすり替える人がいうところの大団円は、おそらくとても残念なものではないかと、それをすれば幸せになれると大人たちがいっていたことを実際に行っても幸せになれなかった経験をした人なら、本能的に警戒する。

これは絶対だ、とだれかが峻厳に思わせてみじんの疑いも許さないものほど、実態はチープなハリボテであるというのはよくあることだが、それは、モーセの時代から「予言者」「指導者」に連綿と受け継がれてきた作為の結果かもしれない。

 

■参考図書

ジークムントフロイト著『新訳 モーセと一神教』日本エディタースクール出版部、1998年

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