2020
02.24

『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』と中止されなかった天皇誕生日の食事会

文化・歴史

 

2月23日の天皇誕生日、新型コロナウィルスの感染拡大を理由に、一般人が皇居に参入し、皇室に向けて祝賀の意を表する「一般参賀」は中止されたが、三権の長等の要人・都道府県の知事等・各界代表者とその配偶者を招いて催される祝宴「宴会の儀」は行われ、安倍首相や国会議員ら計約450人が出席した。

誕生日を祝われるのはうれしいことだし、毎年行っている行事、いまの天皇におかれては天皇に即位して最初のお誕生日、さらに450人分の食材などを調達していたとなると、予定を変更するのはかんたんではないのかもしれない。

一般参賀の中止の理由にした新型コロナウィルは、武漢で最初に一気に感染者が増えたのが4万世帯が参加した「万家宴」と呼ばれる春節の到来を祝う中国南部の伝統行事も原因のひとつと考えられている。

万家宴と宴会の儀では食事の作られ方も提供の仕方も違うとはいえ、集団感染が発生した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に出入りしていた人と接触している人も参加しているなら、お誕生日を祝う会は祝われる側も気が気でないのではなかろうか。

 

一般人が祝賀の意を表する会は中止され、要人が食事をする祝宴は中止されなかった。

日本の儀礼は中国由来のものが多いが、要人の面子と食を重要視するのも中国由来だとすると、日本人が中国の食文化を知っておくことに損はない。

そして中国が、そう遠くない過去まで食人を行っていたことを知るのは、中国との向き合い方を考えるうえで不可欠なことだと思っているが、大手メディアは報道しないのはなぜだろう。

 

毛沢東は1958年から1961年のあいだ、「大躍進政策」で3000万人ともいわれる中国人を餓死させた。

それは、中国が国内が飢饉に襲われていたにもかかわらず食糧を輸出し面子を保っていたからだ。

面子のために国民を餓死させるなど愚かの極みで、政策以前に人間としてあってはならないことだと思うのだが、それがほんとうに行われてしまうのが中国だ。

その「大躍進」時代に起きた飢餓による食人の様子が、『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』には書いてある。

 

「59年夏あたりから、農民たちの食糧不足が徐々に深刻な事態となった。最初のうち農民たちは、ご飯をお粥に切り替えることで凌いでいたが、お粥も徐々に薄くなり、最後には、鍋一杯のお湯に米の20、30粒を入れて沸かすだけの代物となった。さらに1カ月経つと、食糧という食糧は完全に底をつき、村から炊煙が消えた。

人々は気が狂ったようにあちこちウロウロして食い物を探し、口に入るものは何でも食べた。糠も籾殻も、稲の藁もトウモロコシの茎も、完全に食糧として胃袋に入った。枝豆の干された殻まで食べてしまい、胃痛に襲われた。

あげくの果て、村人たちはいっせいに里山に入り、あらゆる種類の樹や草の根を掘り出して食べた。中毒死する人もいれば、消化、排便できずに、そのまま死んでしまう人も多かった。そのうち、あちこちの家から餓死者が出始めた。最初、家族たちは遺体を村の裏の墓地に穴を掘って埋めていたが、生きた人も体力がなくなってしまうと、屍骸は全部、墓地周辺の雑木林にそのまま捨てられた。

やがて、人間が人間を食べる惨劇が起きた。最初は、餓死した人の屍骸が対象となった人の死体を雑木林に捨てると、お尻や太ももなど、多少肉のついている部分がすぐさま誰かに切り取られて持っていかれた。

そして最後には、いよいよ村の子供たちが殺されて食べられていく番がやってきた。さすがに自分の子供を食べる親はいないから、村人たちは互いに相談して、子供を好感して食べることにした。同じ村の中でも、高官はたいてい、家の場所が離れた家庭間で行われた。餓死した子供の死体を交換できるのはおなじくらいの大きさの子供の死体、生きた子供は同じ年頃の生きた子供と交換するという暗黙のルールが出来上がった。

夜明け前に、家々の父親たちは自分の子供の屍体や栄養失調で昏睡状態となった子供を抱いてよその家へ行き、それと同等の『交換物』をもって帰る。それから、家々の台所で他人の子供の解体作業を行う。頭からまず脳みそを取り出す。胸と腹を切り開き内蔵は全部取っておく。当の子供はすでに長く摂食していないから、胃袋や腸などの内臓の部分はいたって『きれい』であったという。最後は、身体の全体から取れるだけの人肉と脂肪をきれいに切り取っていく。

解体作業が終わると、子供の脳みそから作ったスープがまず朝食となり、内臓から肉へと、煮物にしたり炒め物にして大切に食べていくのである。一人の子供をもらうと、家庭全員は何とか1週間程度凌げるから、子供の多い家庭ほど大人の餓死者が少なかったようである……」(p.80-82)

1959年からの3年間、中国人は想像を絶する「餓鬼地獄」のなかで命を失った。

それは国の指導者の面子を保つために引き起こされた地獄だったが、2020年、新型コロナウィルスの発生源となった武漢市のある湖北省が封鎖された。

物流が止まったままでは食べ物が底をつくのは時間の問題で、武漢市では夜な夜な助けを求める声が響いているという。

面子のために数千万人を餓死させる暴力性はとても人とは思えないが、6000万人いる湖北省の状況はかつての大躍進時代に似てきている。

そして面子を保つために暴力を正当化するその性質は、新型コロナウィルスを理由に一般参賀を中止しても宴会の儀は中止しない日本政府に共通して流れているように思う。

 

政府であれ個人であれ、問題は立場や血筋や国籍ではなく、面子を保つために暴力を正当化する、その精神の持ち主が日本を中国化しているのである。

 

■参考図書

石平『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』ビジネス社、2012年(初出は2007年)

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