2019
08.24

おかしい人

エッセイ

 

世界はおかしくなっている。

いまに始まったことではないが、いま思うと、このおかしさはずいぶん前から始まっていた。

 

たとえば町の人。

もう10年以上前のことだ。繁華街の、人ひとりやっと通れる細い歩道を、他人A、わたし、他人Bの順で並んで自転車をこぐことになった。

他人ABはカップルで、わたしと面識はもちろんない。

うっかりカップルに割り込んでしまったのだ。

気づいたときには割り込んでしまったあとで、しかし道が細く、歩道と車道のあいだに鉄製の柵があるために道を譲ることもできなかった。

仕方なく、女、わたし、男の順で、大通りまで走った。

女はけっこうなスピードで走った。

わたしは背後の男から、苛立ちと、女に置いていかれまいとしている必死さを感じ取っていた。

わたしが自分のスピードで走ろうと間をあけてしまっては、女から男を引き離してしまうことになった。

割って入ってしまっただけでも存外だったのに、引き離す気などさらさらなかったので、女とわたしと男は一丸となってけっこうなスピードで一本道をひた走った。

 

大通りにでるまでのあいだ、女は大きく短い声を何度かあげた。

なにかを伝えるような、独り言のような、同意を求めているようなたのしそうな女の声に、彼女はその声を、うしろにいるはずの男にあげていたことがわかった。

男に女の声が聞こえていたかどうかはわからない。

うしろにいるのは男ではなく見知らぬわたしであることに気づいていないであろう女は、何度か声をあげた。

とはいえ、わたしが「あ、うしろにいるの、男じゃないです」というのも不自然だったので、わたしは無視を決め込んだ。

つまり女は、大通りにでるまでのごく短い時間、自転車に乗って大声をあげているただの変人だった。

返答がないことを訝ったのか、女はすこしうしろをふり返った。しかし狭い道をけっこうなスピードで進んでいるので、しっかりと確認することができない。

もはやわたしに誤解を解くためにできることなどなにもなかった。大通りにでるまでの辛抱だった。

 

ようやく大通りにでて、女が自転車を止めてふり返り、すぐうしろからついてきたのが知っている男ではなく、赤の他人だったことを認識したときだ。

男に話しかけていたつもりの大声が、ほとんど独り言になっていたことを知り、自分はほとんど変人だったと認識したときの対応は予想ができた。

はっとするとか、「やだ」と口を覆うとか、あるいは男と視線を合わせて笑いだすとか、とにかく自分の過ちを恥ずかしく思う人の言動を想像していた。

しかし女は、わたしをみるや否やなんのためらいもなく、「なんやねんお前」とわたしにむかってキレた。

 

あるいは自動車教習所の人。

助手席に乗る教官と、なんの話をしていたかは忘れたが、わたしが「なるようになりますよ」といったことを、教官は「なるようにしかならないんですよ」といい直した。

「だから、なるようになるってことですよね」というと、教官は、「だから」と苛立った一言を添え、「なるようにしかならないんですよ」と謎の自信に満ちて言い直した。

 

そして会社で働く人。

最近、とある会社にとある問い合わせをした。

担当者は、そんな問い合わせうけたことがないというようなことをいっていたが、それでも話を聞き、「後日こちらから改めて回答をします」といってわたしの名前と携帯番号を聞き取った。

復唱して確認までした。

それなのに、一か月以上、電話がかかってこない。

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