2019
08.09

壊れるとき

エッセイ

 

 

二階用の掃除機を買ったら、一階の掃除機が動かなくなった。

こういうことは、しょっちゅうではないがときどき起こる。

以前働いていた店では、おもての製氷機が壊れたら、裏の製氷機が壊れた。

おもてと裏というのは、建前と本音という意味ではなく、客席と厨房のこと。

 

あのときは製氷機だった。

製氷機は夏場には集中してつかった。

扉の開け閉めも頻繁になった。

開けたらまだ氷ができてなくて、がっかりして閉めることも多々あった。

がっかりして終わるならまだいい。

いままさに氷を必要としている厨房の、氷がないとわかったときのあの苛立ちはほとんど刃物で、八つ当たりの結果としての大きな物音とともに、そばにいる人間の心を無言で傷つけた。

場合によっては氷がないことをわたしのせいにされ、うんと昔に起こった気に入らないことまでももちだされ、だからお前がすべて悪いと結論づけられることもあった。

どうしろというのだ。ない袖は振れないではないか。マジシャンにでもなれというのか。マジシャンだってタネはあるというのに。

理不尽な対応に憤り、思い通りに事が進まないことをかなしみ、マジシャンでない自分を責めた。

そういうときに、おもての製氷機は壊れた。

直ったと思ったら、こんどは裏の製氷機が壊れた。

たてつづけに修理にくる羽目になった業者は、年式が古いのでしょうがない、というようなことをいっていたが、あのときわたしは、製氷機は自分の意思で壊れたのではないかと思った。

 

もちろん機械に意思はない。

しかし、夏の最中に製氷機が壊れたことは、そして二台つづけて壊れたことは、まるで連続して壊れることを製氷機が示し合わせていたかのように思えたことだった。

二台は夜な夜な相談して、いちばん壊れるのにいいタイミングをうかがっていたのかもしれない。

それであるとき――あの真夏の日に―――事を起こしたのかもしれない。

人間になにかをわからせるために。

そう思ったあとで、でも機械に意思はないのだから、きっと偶然だ、と思う。

でもそのすぐ後で、とはいえ、もし偶然でないのなら、意思のあるだれかが壊したことになるのではないか、とも思う。

でもその場合、一体だれが? と。

 

壊れた一階の掃除機は、ごみの吸いが悪くなっていた。

それは掃除機として致命的なことだったが、もったいない思いが勝ってつかいつづけていた。

しかし、壊れ、あたらしいものを買うと決めた翌日が粗大ごみの日だったことや、充電式であるために思いのまま家のあちこちを吸いにいかれることの身軽さは、これがすべき選択であったことを思わせた。

しかも、ノズルの先にセンサーがついているらしく、犬の毛の塊など大きなごみを見つけたときはあからさまに音を変えて吸い上げる。

ごみを見つけてテンションがあがる掃除機。

掃除機の鑑だ。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。