2019
08.03

風説の流布とインサイダー取引と有名ワイン

ワイン考

 

シャンパーニュがいまほど有名になり価値を得たのは、シャンパーニュ業者によって「ステータスを示す酒」として巧みに売り込まれたからです。

フランス革命前夜からウィーン会議にかけての動乱の時代に、シャンパーニュは、うまい高価なワインとして宮廷内部で確立していきます。

 

1789年のフランス革命は、ルイ16世の時代に起こりました。

そのルイ16世の王妃が、「美貌、純情な反面、軽率、わがまま」だったとされるマリー・アントワネットです。シャンパーニュを愛飲したそうです。

フランス革命が収束し、ナポレオンがヨーロッパの覇者の座を追われたあとで開催されたウィーン会議でもシャンパーニュは大活躍で、「フランスの危機を救った」ともささやかれました。

ウィーン会議でフランス代表になった外相タレーランは、美食とシャンパーニュ外交で巧妙に会議をあやつりました。

ウィーン会議は、「会議は踊る」といわれたように、1814年9月18日の予備会談から1815年6月9日の最終議定書の締結までのあいだに、全体会議は一度として開かれず、実際は権謀術策を旨とする舞台裏の饗宴外交だったのでした。

ウィーン会議以降シャンパーニュは、宴会に欠かせないお酒としてその地位を不動のものにしていきます。

 

この、シャンパーニュの地位が不動のものになる契機となったウィーン会議は、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンの処置を定めるために開かれたものです。

ワーテルローの戦いで世界最大の財閥にのしあがったのが、ロスチャイルド家です。

両替商のロスチャイルド一世には5人の息子がおり、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となっていきました。

ワーテルローの戦いでは、ロンドンにいた三男ネイサンが、「ナポレオンが勝利した」という事実とは反対の情報をイギリスに流した裏で、大暴落した株を買い占めていました。そして一瞬のうちに資産を2500倍にしました。

その額は全イギリス国民以上のものとなったそうで、それ以降、ヨーロッパの国ぐにが政府・王国としてロスチャイルド家にお金を借りにいくことになります。

 

ロスチャイルド家の権力の基盤は「風説の流布」と「インサイダー取引」ということですが、ウィーン会議以降、シャンパーニュは、イギリスに大量に輸出されるようになりました。

シャンパーニュのように不動の地位を得ているワインにボルドーがありますが、ボルドーはかつてイギリス領でした。

ボルドーといえば格付けで、1855年のパリ万博から始まりました。

ワインは農作物で人がつくるもので、天候など、人間の力ではどうにもできないことにも左右されますが、ボルドーの格付けはシャトーに与えられます。

つまり、判断の基準は作品としてのワインではなく、「その造り手がつくるものは、いついかなるときもよいものだ」という考えにもとづいているのです。

そしてボルドーの格付けは、1855年以後、変更されたのは2回のみです。

 

一級5シャトー中2シャトーにロスチャイルド家の名前がついています。

ロスチャイルド家は風説の流布とインサイダー取引で財を得た一族です。

 

■引用・参考文献・資料

宮崎正勝『知っておきたい「酒」の世界史』KADOKAWA、2007年

ヴィリフリッチュ・リリアンハーヴェイ・エリックシャレル『会議は踊る』IVC,Ltd.、2009年

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。