2019
08.02

嘘と麻酔

ワイン考

 

以前、お酒をのむ習慣があった。

お酒をのみたかった理由はいくつかあるけれど、そのひとつが知的好奇心だった。

厳密にはお酒をのみたかったのではなく、満たされることを望んでいたわけで、いま思うお酒でなくてもよかったとわかるのだが、あのときはワインでそれが叶うと思えた。

あれが初めてワインをのんだときではなかったが、ワインを知ろうとすることはものを知ることで、その後の人生を充実して過ごすことにつながると思えた。

 

外国語だったことも理由のひとつだった。

あのとき、まるで関係ない分野で生きていきたいと願ってきたのに行きづまっていたことで、外国語を身につけた方がいいような気がしていたこともちょうどよかった。

ワインに関連する単語はフランス語だったが、あの、口の中で空気をすりつぶすような独特の発音をしようとすることは、願っていた外国語を学ぶよろこびを得たことだったし、仕事でつかうイタリア語は、ローマ字をそのまま読めば発音できたので、わかりやすくて性に合った。

 

シャンパーニュとは、かつてフランスにあった州の名前がついた発泡酒のことだ。

その地域圏で生産されたブドウだけをつかい、瓶内二次発酵や、15か月以上熟成させ、ほかの似たような工程を経るスパークリングワインよりずっと高額である。

ワインを知り、味わいや合う料理、感じられる風味をさまざまなものにたえることを知ったが、ワインを知らなくとも聞いたことがあった「ドン・ペリニヨン」は、人の名前だったことを知ったことは驚きだった。

シャンパーニュの修道院の出納係兼酒庫係だったドン・ペリニヨンは、ある日、酒蔵でワインが破裂していたのを発見したという。

秋に仕込んだワインが冬のあいだに発酵が止まり、春の再発酵までに、たまたまスペイン僧がつかっていたことで知ったコルク栓をしてみたところ、コルクが炭酸ガスを閉じ込め瓶を破裂させた、その偶然からシャンパーニュは生まれた、という話だった。

でも、発泡性ワインは、それ以前にすでにロンドンで発見されていたという。

 

すでにガラス瓶を量産し、ポルトガルとの交易によりワイン栓にコルクをつかっていたイギリスで起こった出来事と考える方が、たしかに話の流れとしては自然だ。

それで、破裂した瓶から流れでた液体をなめたドン・ペリニヨンが叫んだという、「まるで星をのんでいるかのようだ」というくさいせりふや、発見そのものが後付けの伝説だと知ったとき、妙に納得した。

でも、その後付けの話が価値観や希少性、高価な値段に反映されていることに困惑したし、それをありがたがってのんでいること、よいものだと勧めることは、嘘をつくこと、あるいは、だれかの嘘に加担していることになる気がして、苦しくなった。

そう思う自分がおかしいのかと思ったけれど、きっぱりと離れてわかるのは、嘘は、守りたいものを守れなくさせるということだ。

離れられなかったとき、ワインは、嘘つきの自分にうつ麻酔みたいなものだった。

 

■引用・参考文献・資料

宮崎正勝『知っておきたい「酒」の世界史』KADOKAWA、2007年

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