2019
07.25

エッセイ, ライフ

 

嘘をついている人を見た。

一見するとよいように見えたが、じろじろ見たらぜんぜんよくなかった。

その嘘は、一度つくとそのあとのすべてが嘘になる嘘だった。

他人にも嘘をつかせることで嘘をつきづつけていた。

 

その嘘つきのの周りには、でもたくさんの人がいた。

にこにこと嘘をつく人を褒めたたえていた。

嘘つきは上機嫌になっていた。

それを見て、この人が終わるときは嘘がばれるときだと思った。

そして嘘は必ずばれる。

 

嘘は失う。

よかれと思ってついた嘘でも、そしてそのときどんなに「よい」ように見えることが起こったとしても、嘘は失う。

だから嘘はつかない方がいいはずなのに、社会はそう機能しない。

権力をもった嘘つきが自分の嘘をばらさないために、嘘の言いなりになることを求める。

それは嘘だと指摘すると、そんなことを指摘するお前がおかしいと反対にののしられ、場合によっては強制的に排除される。

嘘つきばかりがよいように見えるあべこべな社会。

 

嘘をつくのは他人にたいしてでも自分にたいしてでも変わらない。

むしろ、自分につく嘘が厄介だ。

自分ががまんすればいいし、自分につく嘘で困る人はいないように見える。発見が遅れがちになる。

でも嘘は、自分も他人も、自分でも他人でもない人をも失う。

嘘を他人に求める人は、そのほんとうの意味を知って嘘を求めている。

だからゆるしてはいけない。

自分の嘘を、嘘を求める人を、それをさせるあべこべな社会を。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。