2019
07.24

旅先の荷物

エッセイ, ライフ

真夜中、星を見あげていたら、辺りが霧で満ちていた。

真上にとどまる月を覆う、霧のひと粒ひと粒が明かりを吸って夜を満たしていた。

だれもいなくて、しん、という音だけがあって、べつな世界にきたみたいだった。

もし、このまま家に帰れなかったらどうなるだろうと思った。

 

むかし、荷物が多くて、旅行のときに苦労した。

小学校の修学旅行にはぬいぐるみをもっていって親にあきれられたし、学生の頃、友人たちとの二泊三日の旅行でも、ひとりだけ海外旅行用のトランクケースで登場して、なんで? といわれた。

荷物を大きくしていた中身は、日数分以上の着替えとタオル。

旅のあいだは洗濯ができないし、かつ、もし、どしゃぶりにあってずぶぬれになったら、などと万が一のことを考えていたら、そんな荷物の量になっていた。

のちに、なんでわたしはこんなに荷物が多いのか、を真剣に考え、旅先でも家と変わらない環境を求めているからだと思い当たった。

しかし、それでは旅にでることと本質的に矛盾するのではないかと思って以来、適切と思える量になった(はずだ)。

 

真夜中の星の下で、手元には車と、鞄とその中身しかない。

でももしいま家に帰れなくなったとしても、鞄の中にあるもので役に立つものなどなにもない。

そうなのだ、だいたいのもち物は役に立たない、と立ち込める霧の中で思う。一方で、まただ、とも。

ひとりで、身軽で、だから出会った、と、かつてたしかに知ったはずなのに、いつのまにかまたもつことを過信していた自分。

旅にでることは、自分がすくない荷物でもやっていかれることを確認する、とてもいい、そして人生に必要な時間だと、前にも思ったことをまた思う。

 

行きたいところがあるのは幸せなことだ。

そこが身軽でないと行かれない場所だとしたら、これまでのいくつかの旅は、身軽になるための準備だったし、まただ、ともち物の多いいまの自分にため息をつくのも、きっとそのための準備。

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