2019
07.19

へんなルール

エッセイ

 

小学生の頃、クラスでへんなルールがあった。

給食のとき、口をきいてはいけない、というものだ。

突然始まり、突然終わった。

給食は、全員分をよそっても毎回すこし余るのでよく食べる子たちがおかわりをしたが、口をきいてはいけないので、そのルールが適用される日は「おかわりしたいです」ということもできないのだった。

それでどうするのかというと、生徒は紙に「おかわりしたいです」と書いて先生に見せるのだった。

先生はその紙を一瞥し、頭の上で両手を合わせて丸をつくり――「おかわりしてよい」という意味だ――、そうすると晴れておかわりできるのだったが、なんであんなことをしたのかいまだに意味がわからない。

 

おかわりをするのに口をきかない、というのは、無言ゲームみたいでおもしろかった。

でも、給食をおかわりするのは毎回ごく限られた数人で、そのゲームは数人と先生のあいだでしか成立しなかった。

だから、ほとんどの生徒は、「いただきます」といって一斉に食べだしだ、そのほとんど直後といっていい早さでいつもおかわりする男の子が紙と食器――クリーム色の深型の器――を持って席を立ち、先生に紙をつきつけ、先生が両腕を上げるが早いか給食台に向かい、手際よく大鍋からすくってさっさと席に戻ってまた食べる、という一連の無駄のない動きを見ているだけだった。

とくにおもしろい動きをしていたわけではないのに、先生も男の子も、なんだかコメディアンみたいに見えた。

 

給食は、まずかった記憶もないが、おいしかった記憶もない。

そして、毎回おかわりをする男の子は、小学生のわりにからだが大きかった。

だから、その男の子のおかわりは、食べる欲求というより、食べる必要があってのことだったのではなかったか。

その男の子が、おかわりも平らげ、再び紙――さっき使ったものを再利用――と器をもって席を立ち、先生に紙を突きつけたときだ。

突きつけると同時に男の子のからだは半分給食台に向かいかけていたのだが、先生は、上げた両手を、なんと顔の前で交差させた。おかわりしてはいけないという意味だ。

意外な結果にはっとして、クラス中の生徒の手が止まったと思う。

いちばん驚いたのは、おそらく、一度目とおなじく二度目のおかわりができることを疑っていなかったその男の子で、一瞬面くらったような顔をしたあと、口をきいてはいけないので律義に紙になにかを書き、先生に見せた。

その紙を見た先生は、でも首を振り、男の子は無言で先生にお椀を差しだして訴えたが、先生は頑として首をたてに振らなかった。

男の子は器と紙をもって席にもどり、空になった食器をさびしそうに眺めていた。

 

あのとき、なぜ先生がおかわりを許さず、男の子が紙になんと書いたのかはわからない。

同じ生徒ばかりがおかわりをすることで、ほかの生徒がおかわりができなくなることを避けるためか、と、いまになって想像はするが、記憶に残っているのは、でも男の子の必死の訴えに無言で首を振る先生の無表情だ。

それと、納得のいかない対応に対してもルールを守り、訴えを紙に書いた男の子の素直さ。

なにかの練習をしていたような、よく考えると気持ちの悪いゲームだったと、この時代になってとても思う。

 

あのゲームは、ある日突然、始まった。

ある日突然、先生がそうするといって始まり、いままで許していたことが、先生の一存で許されなくなった。

なんの予告もなく、なぜ許されないのかの説明もなく、育ち盛りの男の子に。

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