05.31

サーバー障害とソムリエナイフの錆
サーバーが障害を起こした。
おととい、いつもそうしているように、このサイトにログインしようとブックマークのフォルダに収めたURLをクリックしても、開かれたタブの左で表示待ちの合図がしばらくくるくると回った末に、「このサイトにアクセスできませんwww.parlonde.com からの応答時間が長すぎます。」と、最後通牒のような文言が表示されて、持ち主を絶望させた。
かんたんに絶望なんかするもんじゃない。
でも、これを読んでくださっている方は知っているか。
わたしは、ついこのあいだ、サイトの左上、「三」のようなマークをクリックしてでてくるサイドバーメニューに、いまとなっては当たり前に表示されている人気の記事を表示させようと、見様見真似でサイト内部のコードを書き替えた結果、ログインさえできなくしてパニックに陥ったばかりなのだ。
その数日後、無事人気記事は表示され、何事もなかったようにあたらしい記事をあげたとはいえ、その数日のあいだには、サーバーのお問合せセンターに訊ねれば、「導入後のWordPressの動作につきましては、設定要件が判断いたしかねますため、弊社側で明確な回答が不可能な次第でございます」と丁寧な口調で見放されて絶望し、進言された「デバッグモードなどでエラー原因を特定」したところで、では具体的にどうしてよいのかがわからず、かくなるうえは、最初からサイトを立ち上げなおし、保存してある記事と画像を改めてひとつひとつ投稿しなおすこともやむを得まい、と腹をくくっていた。
が、仕事の合間の夫があっさりと、バックアップからファイルとデータベースを戻してくれた。
何事もなかったようにいつもどおりのサイトに戻ったのでめでたしめでたし、と思っていたのに、あの得もいわれぬ閉塞感から明けて間もないうちに、追い打ちをかけるように「このサイトにアクセスできません」といわれることになるなどだれが想像し得ようか。
でもこういうとき、つまり、待てばたしかに終わるけれど、ではいつまで待てばよいかが明確ではないときにこそ、ただ待って時間をやり過ごすのはもったいないと思えてくる。
人間のやる気とは、締め切りのめどが立っているからこそ発揮されると思っているけれど、短い区切りで片付きやすいこと、たとえば、畑の草刈りとか、外国語音声の映画を外国語字幕で観てせりふをくり返すこと、古いソムリエナイフの錆を落とすことなど、ふだんから気にはなっていたけれどなかなか出なかったやる気が、わたしの場合、こういうときに俄然刺激されて湧きおこる。
草刈りや外国語はやろうと思えば果てしなく、錆も思ったより強固だった。
でも、さっぱりと刈られた畑を部屋の窓から眺めることや、頭の中にあったのと同じ文章を字幕で確認できること、びっしりとついた錆がとれたところにメーカーのマークを発見するのは、視覚的以上に快いものがあって心に余裕がうまれる。
毎日の決まりきったことから離れ、やろうと思えばべつななにかができるという余暇。それはつまり、自由の尊さをわかるということだ。
自由の尊さをわかることは、平和や穏やかな日常というのは、だまっていても与えられるものではなく、自らのつよい意志で望んで得にいく宝物のようなものだと改めて思うことだった。
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