2019
07.15

くじ

エッセイ

 

家の外がやけにうるさいと思ったら、三連休だった。

子どもたちが集団で自転車を乗り回している。

もしかしたらもう夏休みなのかもしれない。

それで昼間、マラソンをする人を見かけたのだ。いつも見かけるのは夕方なのに。

 

道路は公のものなので、どんなふうに通ろうと勝手なのだけれど、毎日しずかな家の外で、ふいに子どものすっとんきょうな声がすると、どきりとする。

夏休みで、たのしくて、開放的な気持ちを表現したくて、でもほかに表現方法が見つからないからその声をだしたのだ、と結論づけられるのは、それが子どもの声だとわかったあとで、なんであんな声を上げたのかしら、助けを呼んでいるのかしら、あるいは警告かしら、いや助けや警告ならもっと声が続いているはずだ、と一通り考え、しばらくのあいだ待っても同じような声が聞こえないことを確認して、やっと至れる。

だから、わたしはパソコンに向かっていたり、本を読んだりしているだけなのだけれど、しずかに疲弊する。

その声がしたことによって、耳をそばだて、見えない状況を判断しようとする、いつも使っていない神経が半ば強引に動員されるから。

それで、やるべきことがあるのにどうも熱中できない、ということになる。

できると思っていたことができないと、精神的に参る。

 

おもてにでたい気持ちになって、でることにした。

畑で除草をしていると、お隣さんがやってきて、おしゃべりをしていった。

おしゃべりというより地元の大農家兼市議会議員の疑惑話で、でも実体験が伴っているので妙に説得力があった。

話はこうだった。

先日、お隣さんが市の補助金制度を利用したいと申請した。

それは、応募者多数のため抽選で選ばれ、あらかじめ総応募者数も知らされていたのだが、くじびきで行う抽選を見に行ったところ、くじの箱から聞こえる紙の音は、応募者ほどの数が入っているようなたくさんの音には聞こえなかった。

お隣さんは落選した。

くじびきは見せかけで、最初から当選する人が決まっていたのでは、という疑念は、直前、疑惑の市議会議員が、その制度を知らなかったらしい知り合いに制度を利用すればいいと進言し、「きっと受かるから」と言い添え、その人は本当に当選したことでさらに強まったという。

さらに、以前にも議員がらみでこういうことがあった、とも話してくれた。

お隣さんの畑の斜面が崩れたとき、市は土嚢を積んで放置しただけだった。

しかし、お隣さんのさらに隣の人の畑の斜面が崩れたとき、市はすぐさま防波堤のように立派な補強をした。

お隣さんはただの農家だが、その隣の人は、市議会議員の後援会かなにかに携わっていた人だった。

 

「お金が流れる先は、最初から決まってる」

お隣さんがつぶやいたことは、国でも行われていることだ、と、最近本で読んで知ったところだったので、驚いた。

昨今のおかしな政治と、本で知ったこと、疑惑の地元議員とお金のことが、お隣さんの話で一本の線につながった。

選挙がちかい。

くじびきで受かる人は、最初から決まっている。

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