07.12

逃げないということ
真夜中、だれもいない小さな交差点を右折すると、突然、けたたましい音が背後で鳴った。
びくりとすると同時に、視界の端がやけにきらびやかであることに気づいた。バックミラーを見ると、暗闇でランプを光らせて近づいてくる車があった。
救急車だった。
ぎらぎらと猛スピードで迫りくる姿は、まるで威嚇しているようだと思い、そう思いながら、この道の進む方向に病院はないので、あの救急車はいまからだれかを迎えにいくのだと思った。
こんな真夜中になにがあったのだろう、知っている人だろうか、でも知っていたところでどうにもならない、と考えていたことで、ほんらい救急車両にそうしなければならない、車を端に止めて道を譲るということをするのが遅れた。
ハザードをつけ左に寄せて止めたわたしの横を、救急車がものすごい勢いで走り去る、その後ろ姿を見やりながら、さっきまで救急車の前を走っていた自分を、まるで追手から逃げる人みたいだったと思った。
よく考えたら救急車は追ってはこないのだけれど、それでも自分のなかに逃げたいと思う自分がいたのなら、一体なにから逃げようとしていたのだろうと思った。
救急車両には道を譲らないといけない。
それなのに、考え事をしていたとはいえ譲れていないことにたいする違和感が、威嚇するような音とランプでへんなふうにふくれあがり、こわい、と思う気持ちが、逃げたい、という気持にさせたのだと思った。
だから、止まって道を譲ったことでその気持ちはおさまった。
けばけばしい赤いランプもカーブを曲がって見えなくなり、引き返して追ってもこなかった。
ほっとした。
庭に車を止め、止めた車の中で空を見た。
星はでていなかったけれど明るい夜で、こういうことはむかしからあったのだと思った。
こういうことというのは、すべきことがあって、していないということ。
なにかから逃げているような感覚があったこと。
でもこの感覚は、「それ」をすることでしかなくならないということも、うすうすわかっていた。
そのためには、逃げないと決めることでしか、ほんとうに逃げないことにはならないということも。
逃げていたのは救急車からではなく、救急車に姿を変えた「逃げるべきでないこと」からだ。
そしてほんとうに「それ」をしたといえるまで、「それ」はいつまでも追いかけてくる。
たぶん死んでからも。
遠くからサイレンが聞こえ、救急車がきた道を引き返していくのがみえた。
赤いランプは粛々と警光していた。
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